人はどこまでが人なのか・・・人間性が保てなくても生きる理由はある?

料理
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延命の先にあるもの

 

ある医師が書いておられるが、医療の発展により延命治療の弊害が起きていると。

必死の延命治療の先にあるものがどれだけ悲惨な結果を生むか、身をもって体験された体験談である。

 

それを読んで私は嫁が死んだ時もきっと同じ状況だったんだな〜と思った。

その時の状況をあまり詳しく書くわけにはいかないが、先ほどの医師が言っている悲惨な結果というのは想像できる。

いや経験したと言った方がいい。

 

人はどこまでが人なんだろう。

素朴な疑問が浮かぶ。

 

いろんなチューブに繋がれて人工的に生きている状態でも人というのだろうか。

人間性が失われた時には、もう人としての生は終わっているような気がするが・・・

 

ただ生かすだけの医療では人間性は回復しない。

どこかできっとその見切りが必要なんだろうと思う。

 

私もあの時、無意識にそう感じたからきっと担当の医師に、もう延命をやめてほしいとお願いした。

結果、嫁は大きな呼吸を一度したきり亡くなってしまった。

 

嫁が倒れてから約3ヶ月後のことだ。

私が最後に聞いた嫁の言葉は『まだ死にたくない』という一言。

 

あの言葉を残して嫁は意識を失い、嫁としての人間性も消えた。

おそらくあの時にもう嫁は死んだのだ。

 

しかし私が医師にお願いして必死の延命措置は始まった。

家族としてみればそれが自然な行為だろうが、本当はあの時に死なせてあげたほうがどれだけ楽だっただろうと今になって思う。

 

人が人でいられるのは、ただ死なないからじゃない。

笑ったり怒ったり泣いたり語ったり・・・

食べたり飲んだり・・・

喜んだりハグしたり・・・

手を繋いだり見つめたり・・・

 

それが人なんだろうと思う。

 

死が近づいたら自然に任せる。

そんな意思をもって死ねたなら幸せだな。

 

周りにピコピコと電子音など聞こえず、体に人工物が繋がれることもない。

日常の音の中で静かに息を引き取る。

 

ただそれだけのことがそんなに難しい世の中なんだろうか?

 

医師の仕事ってなんだろう。

いかに長い時間心臓を動かし続けたか。

それで評価される世界?

 

患者がそう望むなら仕方がない。

しかし患者が望まないのなら、ただ心臓を1分1秒長く動かし続けるだけの延命治療はやめるべきじゃないだろうか。

 

自分は嫁に対して延命を望んだくせに、今頃になって矛盾したことを言うのはどうかと思うが、あの経験があったからそう思う。

 

難しい問題だな。

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食はマリトッツオ、オレンジ、コーヒー。

 

女子か!

昨日のいちごのフルーツサンドに続いてまさかのマリトッツオ!

 

 

らくらくホイップが余ってるので、フルーツサンドの次に思いついたのがマリトッツオ。

正確にはマリトッツオ風である。

ブリオッシュじゃなくてスーパーで買ったただの丸いホテルパンだ。

 

カブっと噛んだ途端に生クリームが全部はみ出した。

これどうやって食べるのよ〜!

 

 

今日のご当地ラーメンは北海道の『帆立風味ラーメン』。

帆立いたかな?

でも美味しい塩ラーメンだった。

 

 

これもインスタントとは思えない味だな。

まるで生麺!

 

 

晩ごはんは豚バラ生姜焼きとスパサラ、サラダ、鯛のカルパッチョ。

 

 

ディルで和えた鯛は私の大好物!

春キャベツの千切りも美味しかった。

同じ千切りキャベツでも柔らかくて食感が全然違う。

 

 

 

歳をとると死ぬ話ばっかりするようになるが、私にとっては死ぬことも人生のイベントとして楽しみでもある。

だからどうしてもその手の記事が目についてしまうのだ。

 

それにしてもどうやって死にたいかというアピールはどうすればいいんだろうか。

終活するのが当たり前のような社会だから、自分の死に方も自分で決められるような法律を作ってもらいたいものだ。

 

これから日本は確実に多死社会になるから必要だと思うのだがいかがだろうか。

 

 

 

コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!

  1. jun より:

    おはようございます。
    今までの記事を拝読させて頂き、ペコリーノさんの奥様の状況では
    数ヶ月の延命はご家族やご友人にとって大切な時間だと感じています。

    その後万が一意識が戻られて重い障害が残り、
    話す事も自力で食事を取る事も出来ない、
    入浴、排泄も介助が必要、他人が言っている事も理解出来なくなった時が怖いです。

    日本の法律ではその様な状態では医師が投薬して命を断つ事が出来ません。

    家庭での介護が難しい場合は介護施設に入る事になりますが、
    ペースト状の食事でも介助で食べられるうちは生き続けさせられます。
    少しでも体重が減れば高カロリードリンクを飲まされます。

    更に嚥下が落ちると病院で胃瘻を増設するかご家族が決めます。
    そこで胃瘻増設を断るとやっと看取りとなります。

    看取り状態になった場合は点滴もしないので一週間程で自然に亡くなります。

    ただ、人間を卒業した様な状態の人に胃瘻増設を望む家族も居ます。

    そうなると悲惨です。

    ご本人は他人に排泄、入浴介助までされて何の楽しみも無い数年を生き続けなければなりません。

    年長の友人が度々言います。
    「ある程度の年齢になったら簡単に死ねる薬を配ってくれないかしら?」と。

    殆どの日本人がピンピンコロリを望んでいるのに、
    現実は難しいです。

    自分の死に方を私も考える歳になって来ました

  2. k より:

     離れて暮らす子供たちとの時間持てたかな 別れ 自覚  医療がお菓子なのは感じましたがなにも出来ない自分でした 

  3. パンミミ より:

    石原慎太郎氏の遺稿を読んだばかりだったので色々と考えさせられましたね。家族との間で昨年だったか「延命措置はしない」旨の意思確認をしました。親に関してはその時点での考えとして動画にもしてありますが、さて、その時が来たら残された方(おそらく母)の気が変わりはしまいか、、、という気もします。

  4. さつき より:

    こんにちは。
    以前からペコリーノさんの記事を読ませていただいてた者です。
    とてもおしゃれなお食事の写真や、読むたびに考えさせられたり、
    心がふっと軽くなったりする文章にいつもすごい方だなあと思っていました。

    ここしばらくブログの方を見られなかったのですが、
    今日何気なくYouTubeで『やっと妻が死んでくれた』の動画を見ました。
    涙で目の前がかすんできました。
    どんな人がこのチャンネルつくってるんだろーと思ってみたら
    まさかのペコリーのさんでした。
    ブログでもYouTubeでも人を惹きつけるぺこりーのさん。
    いつもありがとうございます。
    身近にいる人に感謝して生きようと思います。

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