何を考えて検索してるんだ!?
私のブログを毎日欠かさず読んでいただいているみなさん。
いつもいつも飽きずに読んでいただいて本当にありがとう!
実は、私のブログを初めて読まれる方のほとんどは、『人気ブログランキング』か『にほんブログ村』のどちらかのランキングサイトで私のブログを見つけてこられた方だ。
次にこの2つのランキングサイト以外から私のブログにたどり着く人は、検索エンジンで検索した結果から私のブログを見つけている。
まあ自然検索でサイトを知ってもらうためのテクニカルなことは私がすべてやっているので、そうやって自然検索で訪問していただけることは目的通りでもある。
ただ・・・
その検索ワードを見て私はちょっと引いた。
実はその検索ワードが今日のタイトルなのだ。
『嫁死んで欲しい』
『妻死んでほしい』
この二つのワードを検索して私のブログにたどり着いた方が実に多い。
それはおそらく私のブログのタイトルが影響していると思われる。
嫁に死んで欲しいと検索されている方はいったい何を望んでいるのだろう。
何を探すためにそんなワードで検索しているのか・・・
そしてその方達が最初に読む記事がこの記事だ。
『ようやく嫁が死んでくれた〜夢にまで見た自由を手に入れてこれから何をしようか・・・』
タイトルだけ読むとなかなかショッキングなタイトルである。
しかしちゃんと最後まで読んでいただければ、どういう意図でこの記事を書いたかがわかっていただけるはずだ。
ただ、『嫁に死んで欲しい』と検索する世の中の旦那さんたちが、この記事を最後まで読んでどう感じるのだろう。
奥さんに死んでくれと願うくらいならば離婚すればいいだけのことだ。
そこまで愛がさめてしまった旦那さんがこの先奥様を幸せにできるとはとうてい思えない。
また、心の中では死んでくれと願いながら表向きは仮面を被ったまま一緒に夫婦生活を送るというのも、想像しただけでゾッとする。
子供のために離婚できないとか、子供がいたから離婚しなかったなどとあとから子供に言うのは絶対にやめてもらいたい。
何も選択できない子供にまるで責任が子供にあるかのような言い方をするのは、子供の心にどれほど深い傷を負わせるのか・・・
子供が自分自身を愛せなくなる最たる理由だろう。
死んで欲しいと思っている奥様と運良く離婚できたとしても、この手の男は次も必ず同じことを繰り返す。
一度は結婚したいほど愛した女性を幸せにする責任も果たさないばかりか、あろうことか死んでほしいと願う男。
そんな男が幸せになれるわけがない。
自分が幸せになれない人間が他人を幸せになどできるはずがない。
なぜなら幸せがどんなものなのか知りもしないからだ。
私の友人の奥様は7年間の闘病のすえ乳がんでこの世を去られた。
友人のその7年間の献身的な看病は素晴らしかった。
奥様が力尽きて亡くなる間際に友人は、『死んじゃダメだ』『死なないでくれ』ともう意識のない奥様にすがって泣いた。
嫁に死んで欲しいと願う男と、危篤の奥様を前にして死なないでくれと泣いてすがる男。
あなたが女性だったらどちらの男と結婚したいだろうか。
そしてどちらの男があなたを幸せにしてくれると思うだろうか。
私の嫁も最後に『まだ死にたくない』と言い残して死んだ。
無念だったろうと思う。
私は『もっと生きたい』と願う嫁を助けることができなかった。
自分の無力さに打ちひしがれた。
私も嫁と一緒に死にたいとさえ思った。
絶望とはこういうことことを言うのかと、私は嫁が死んでから初めて知った。
妻や嫁に死んでほしいと検索する男がいる。
一方で嫁を助ける方法がないかと必死で検索する男がいる。
どちらも同じ男なのだが。
アメリカのテレビドラマ
今アメリカのテレビドラマにハマっている。
『Modern Love』というタイトルだ。
ニューヨークタイムズ紙に投稿された実際のエッセーに基づいて制作されたものらしい。
これが実に面白い!
恋人だったり夫婦だったり、いろんな形のパートナーたちの愛をテーマにした珠玉のストーリーばかりだ。
このドラマを見ると男と女の数だけ物語はあるんだなと思う。
人間だからいい時も悪い時もある。
禍福は糾える縄の如しと言う諺もあるじゃないか。
しかしそれを乗り越えた時に夫婦にも本当の絆ができるんだと思う。
それでもダメなら別れたらいい。
相手の死を望むなどバカなことは考えず、とっと別れて奥様を解放してあげたらいいのだ。
人生は長いから、別れた二人にもまた新しい道が用意されている。
ただ、嫁に死んで欲しいと検索している旦那に一度このドラマを見てもらいたいものだ。
あなたたちにもこんな日があったことをきっと思い出すから。
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