オリンピックも社会の縮図のようだった
何かとお騒がせなニュースばかりが目立った北京オリンピックだったが、それも今日で終わり。
後味の悪さばかり残して世界のスポーツの祭典は幕を閉じる。
オリンピックを見ていてあらためて思ったのが、本当にこの世界は善と悪の2つでできているんだなということ。
善行を行う人と悪行に手を染める人。
まさに今回の北京オリンピックではそれが炙り出される結果となった気がする。
正々堂々とスポーツマンシップに則り競技を競う選手も入れば、ドーピングという手法で不正に勝利を手にしようとする者もいた。
この北京オリンピックでドーピングが問題になったのはフィギア女子のワリエワだけではない。
距離スキー女子に出場したウクライナのワレンティナ・カミンスカ選手も、筋肉増強剤の薬物が陽性となり出場資格を剥奪されている。
また前回の東京オリンピックの男子400mリレーで銀メダルを獲得したイギリスが、選手のドーピングが発覚して今になって銀メダルが剥奪されたそうだ。
ほんと、この世の中には善人と悪人しかいない気がする。
善人はどうやってオリンピックで最高のパフォーマンスができるかを考える。
しかし悪人はどうやって金メダルが確実に手に入るかだけを考える。
その結果が選手のドーピングであり審判の不思議な裁定である。
まるでオリンピックは社会の縮図のようだ。
この世界も真面目に働いて金を稼いで慎ましく生きている人もいれば、人を騙して他人の金を搾取する人もいる。
人を助ける人と人を殺す人。
ゴミを拾う人とゴミを捨てる人。
家族を愛する人と家族にDVをはたらく人。
税金を払う人と税金を払わない人。
きっとどんな小さな社会にもこの2つの善と悪が共生していて、正しく生きようとする人たちが被害を被る。
なんだか北京オリンピックを見ていて古い日本の諺を思い出した。
『正気者がバカを見る』
こんな世界でいいのだろうか?
日本の若者の口からおおよそ『幸せだ』と言う言葉はどうも聞けそうにない。
日本の若者の死因の1位は自殺である。
そんな国に住む若者が幸せであるわけがない。
せめて善人として生きるだけでも大変だ。
しかし善人であるだけで幸せとは思えないだろう。
正しいことを行う人たちが『幸せだな〜』と思えるような社会にはならないものだろうか。
そういう私も若い頃に自分が幸せだなんて思ったこともないし、当然口になどしたこともない。
しかしある若者がテレビのインタビューで何度も『幸せです』と口にしているのを見て私はハッとした。
20代で自分が幸せであることを実感できる人がこの世にどれくらいいるだろうか。
実はその若者とは『羽生結弦』選手のことだ。
彼はエキシビジョン前のインタビューで何度も今が幸せであることをカメラに向かって口にした。
4Aの失敗、メダルにも届かない結果。
それでも彼は今が幸せだと言っているのだ。
かたやROCの女子フィギアの銀メダリストのトルソワ選手は『銀なんかちっとも嬉しくない』と言い放った。
別にロシアという国を非難するつもりはサラサラないが、前述したようなスポーツに取り組む考え方が根本的に違うのだろう。
どんな高級車でもガソリンがなければ、あるいはバッテリーが充電されてなければ何の役目も果たさない。
パソコンだってソフトがなければただのオブジェにすぎない。
それと同じように人にも正しい心が入ってないと小さな幸せすら掴めないのだと思う。
銀メダルでも幸せじゃない人とメダルが取れなくても幸せですと言える人。
みんなどちらになりたいだろうか。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はいちごトーストとビーツのポタージュスープ。
今年のいちごはどれも美味しい!
昨年よりも種類が増えた気がするが気のせいか?
ビーツのスープはじゃがいもとビーツをバターで炒めてからコトコト煮る。
ミキサーでブレンドしてから牛乳を入れてまた煮込む。
程よい酸味がとてもうまい!
今日のご当地ラーメンは広島の尾道まぜ麺。
動物性の原材料と化学調味料不使用だそうだ。
個人的には美味ければどうでもいい。
てか、ラーメンが体にいいと思って食べてないから。
ピリ辛でうまい!!
晩ごはんはチーズハンバーグとサラダ。
ハンバーグとか滅多に食べないが、ロシアの壺焼きのシチューがあったので何となくハンバーグが合いそうだと思った。
久しぶりにミンチを捏ねた。
予想通りうまい!
『正しい』という言葉は実はあまり好きではない。
正しい食生活とか何言ってるかよくわからない。
自分なりに体のことを気遣って食べていればそれが正しいでいいじゃないか。
お昼にラーメン食べたら夜に野菜をたくさん食べる。
バランスにもなるべく気を付ける。
ただ心だけは正しくありたいと思う。
そんな私も歳をとってからだいぶ心も正しくなってきた気がする。
若い頃は全然ダメな男だった。
だから私は今が1番好きだ。
どんな小さなことにも幸せを感じることができるようになった。
歳を取ればとるほどに幸せのハードルは低くなる。
いつか紙パンツを1人で履けただけでも幸せだと思うようになるらしい。
ライフリ〜♪
※昨日もたくさんのコメントありがとうございます!
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
羽生さんは何回も金メダルとってますからね〜。1番目指してオリンピックに初めて挑戦した10代の子が2番という結果に「くやしー!」と生意気発言するのもよいではないか、と思ったおばさんでした。
同じ2つを「2つしか」と思うか「2つも」と思うかは人それぞれ。正誤とか善悪ではない気がします。
昔はうっすら感じていた、正直者がバカを見るという現実がリアルになった分、絶望する若者も増えたのでしょう。
とはいえ、どの分野でも老若問わず極めた人は概ね人格者です。羽生君は辛い震災を経験しているので、思い切りスケートの出来る幸せを噛みしめているのでしょう。
若い時は自分中心に世界が回っている位に思っていて、生意気で、物欲は限りなく、でも、生きている実感も日々強く感じていた気がします。特に私の世代は例のバブルがありましたから。
今はあの頃から見たら、なんて穏やかなのでしょう。
一日の1番の目標は、仕事はさて置き、今日も美味しい(私にとって)ゴハンを食べるという事ですからシンプルです。
そして、歳を取った分人には日々優しく寛容になれた気がします。
そんな自分を少し愛おしく思います。
[…] 昨日の朝食はいちごトーストメイプルシロップがけ。 […]