ちょっと前の話
私が60歳になったある日。
当時、勤務していた会社のオフィスで働く社員たちをなんとなく見ていて、もう会社を辞めようかなと突然、思い立った日のことを今でも覚えている。
私がこの会社にスカウトされた時は、社員もまだ15〜6人だったとあるベンチャー。
たった1年で社員数は100人を超え、管轄省庁から睨まれるほどに急成長を遂げた。
会社が成長する時は社内も活気に満ち溢れている。
当然だが若い社員が多い。
そんな急成長した会社ならさぞブラックな企業だろと思われがちだが、働き方改革 が世の中で叫ばれる前から残業を厳しく制限して、労働環境は実にホワイトな会社だった。
あのまま仕事を続けていればきっと上場も夢ではなかったはず・・・
でも辞めた。
なぜ ?
なんか嫌になった。
なんかって何!???
そんな小学生みたいな理由で簡単に仕事を辞める奴がいるか!?
しかも幹部だぞ。
ちょっと間違って聞こえたらいけないのでここで弁解しておくが、会社が嫌になったのではない。
もう散々してきた仕事が嫌になったのだ。
40年近いサラリーマン人生。
それがとことん嫌になった。
顔が可愛いだけで 頭の悪い女子社員。
叱れば必ず翌日休む男子社員。
お前のメンタルは豆腐か!
そんな部下でもハラスメントにならないように必死で褒めて、業績評価もさじ加減してあげて・・・
いつもいつも
『君ならできる!』
と励ましてきた。
『バ〜カ! お前になんか できっこねえよ!』
と本当は本心を言いたかった。
もう そんなこんなが 嫌になったのだ。
部下をおだてて上司にはへつらい、自分でも気持ち悪いリップサービス の大安売り!
仕事さえしてくれるならどんだけでも褒めまっせ〜!
責任は自分に功労は部下にだと?
はぁ?
全部俺がやったのに〜?
いやいや大人気ない。
もうやめよ・・・
仕事さえ辞めてしまえばそんなことすらどうでもよくなる。
老兵はただ去るのみだ。
なんか急にあの日そんな気持ちになって・・・
会社をぶち辞めてやったのだ。
一言で言うなら逃げたんだな。
ずっと前の話
辛いことがあっても乗り越えてきたこともある。
物心ついた頃にはもう親はいない。
私が九九や読み書きの次に覚えたのは自分の弁当を作ること。
自分の弁当を食いたくて作ったわけじゃない。
お昼の時間に弁当がないと同情されるのが嫌だったのだ。
だから頑張って料理を覚えた。
おかげで料理はうまくなった。
そして学校を卒業し初めてついた仕事は営業。
なんで美大出身の俺が営業?
初めての営業職は辛い仕事だった。
というか昔のサラリーマンは何もかもが酷かった。
パワハラ、セクハラなんて日常茶飯事。
毎日上司に怒鳴られる成績の悪い同僚。
どこの会社も同じだから転職しても何も解決しないという、地獄のようなあの時代。
仕事が辛いなんて思ったら生きてさえいけなかった。
乗り越えるしかなかった。
だから頑張った!
努力とか頑張ると言う言葉が大嫌いな私が必死で仕事を頑張った。
おかげで成績はいつもトップだった。
結局、乗り越えなくったって生きていける
でももういい。
時代は変わり、もう乗り越える必要なんてなくなったのだ。
妻が死んだ時も悲しみを乗り越えようなんて微塵も思わなかった。
毎日泣いて死んだように生きた。
周りの励ましてくれる言葉に、無理にでも笑って返さなきゃならないのが本当に苦痛だった。
あれから7年がたった。
あの日の悲しみは耐え難く乗り越えられないまま7年が過ぎた。
しかし今は悲しみは感謝へと変わり辛かったこともいい思い出だ。
乗り越えなくてもいいんだよ。
黙ってやり過ごせばいい。
いや辛いことからは逃げてしまえ。
そうやってただ生きていればいい。
するといつの間にか
そんな辛いことも
思い出になってしまう。
今生きるのが辛いあなた。
思い出はたくさんあった方がいいじゃないか!
戦わずして楽に生きようよ。
頑張らなくったって
ただ歳をとればいいんだよ。
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
記憶に残る姿が薄くなって行くのが嫌だな 声だって覚えてるけどもう聞こえない 7年ですか 近づいてるかもだな いないなんて耐えれんよ