山あり谷ありじゃないと映画にもならない
人の人生の話だから無責任に言えるが、これが自分の人生だったら谷も壁も落とし穴も勘弁してほしい。
しかし、たいていの人の人生って少なからず山あり谷ありではないだろうか。
この山や谷を繋いだ線のことを人生グラフと言うらしい。
もしくは人生曲線。
まあ自分の人生には谷も壁も勘弁してほしいと書いたが、実際に私が経験した谷は南極のクレパスよりも深く、ぶち当たった壁はチョモランマよりも高かった。
ただ、人の人生なんて山も谷もあるから面白いわけで、山も谷もない平坦な人生など映画にもならない。
何の苦労もなく、生まれた時から大金持ちだった人の人生の話を聞く気がするか?
軽い拷問だ。
できればお金を払ってでもお断りしたいだろう。
もしあなたが人生グラフを書けと言われたなら、あなたはいったい何を基準にして書くだろうか?
人生のモチベーションをグラフにして書くというのが多いが、他にもグラフにすべきものはたくさんあると思う。
例えば幸福度。
あるいは仕事や収入、趣味、恋愛などなど。
これら全部をグラフにして書いて見るとすると、とんでもなく交錯したグラフが出来上がるのではないだろうか。
あるいは全く交錯せず、それぞれが比例して綺麗なカーブを描くという人もいるのかもしれない。
私自身に人生グラフを書けと言われたなら、モチベーションが上下することはあまりなくずっと高いまんま。
仕事は転職もしたのでずいぶん山も谷も経験した。
じゃあ幸福度はと言うと、仕事ばかりしている時はもちろんお金も稼いでいるのだが、自分が幸福かどうかなんて考える余裕がない。
だから仕事がうまく行っていたからと言って幸せだと思ったことは一度もないかもしれない。
収入が上がることによって晩酌が発泡酒からビールに変わり、『やっぱ本物のビールはうまいなぁ〜!』と感じる幸せはあったかもしれないが。
そうなのだ。
幸せって人生グラフの大きな曲線には関係なく、実は日々の小さな出来事に比例して小刻みににギザギザを描いているようなものなんだと思う。
子供が初めて『パパ』って喋ったとき。
プレゼントの箱を開けて嫁が嬉しそうに笑ったとき。
毎日、弁当の蓋を開けるとき。
小さな出世を家族が喜んでくれたとき。
娘が結婚したとき。
嫁と暮らした日々を振り返ったとき。
幸せってこんな小さな出来事ばかりだ。
なぜか仕事での成功は今思えば微塵も幸せとは感じない。
やはり評価と幸せとは直接関係がないようだ。
私の人生グラフには山も谷もたくさんあったが、年老いた私の今の人生グラフはどんなカーブを描いているのだろう。
おそらく・・・
とても平坦な一本線のような気がする。
高くも低くもない。
もう浮くことも沈むこともない。
ただの直線だ。
そして不思議なことに幸福度のグラフも、人生グラフの線とぴったり寄り添っている。
というか、もう同じ線となっているのかもしれない。
なぜ今は幸福度が人生グラフと比例しているのだろう。
昔のように金を稼いでいるわけでもない。
晩酌はビールではなく発泡酒に戻った。
その理由の一つは、歳をとると幸福であるかどうか自分に問いかけることが多いからかもしれない。
なんせ時間はあるから、ちょっと面白いことがあると幸福を感じる。
若い頃よりも確実に幸福センサーの感度がいい!
今、仕事に忙しくしている若い人たちは、一度立ち止まって今自分が幸福なのか自問自答してみるといい。
おそらく仕事と幸福度は比例しないことに気づくはずだ。
そして自分が幸福に感じることが何なのか一つ一つ確認してみてほしい。
あなたが幸福と感じるそのことが、あなたにとって今一番大事なもののはずだ。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はベーコンとWチーズトースト。
食パンに四角く切れ目を入れてスプーンで窪みを作る。
そこにベーコンとカッテージチーズを入れて、さらにチェダーチーズをトッピングしてベイク!
焼けたらそこになんとメイプルシロップをかけて食べるのだ。
この甘くてしょっぱい味がたまらない。
ああ・・・
朝から幸福!
ランチは缶詰のサバカレー。
スーパーの缶詰コーナーを見ていたらこいつと目が合った。
で、食べてみた。
なるほど。
サバのカレーだ。
ごく普通の・・・
でもサバは体にいいし缶詰だからレトルト臭もしないしいいのかも。
晩ごはんはカレイの煮付け。
水は入れずに日本酒だけで煮たら絶品だった。
ほうれん草はカッテーチーズで白和えに。
お豆腐で作る白和えもうまいがカッテージチーズだと濃厚な味になる。
紅芯大根のピクルスも色鮮やかに仕上がっている。
今日も焼酎が進むメニューだった。
私の場合、幸せとは飲んだ酒の量に比例している気がする。
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