仕事としての介護
ゆいまるくんのお散歩でたまに見かけていたシェパードがいた。
シェパードに見えるが他の犬種とのミックスなのかすごく体が大きい。
そして毛並みが良くてマズルがシュッとしていて実にかっこいい!
しかしゆいまるくんは犬が嫌いだ。
このシェパードともすれ違うたびに、ゆいまるくんは敵意むき出しでガウガウと吠える。
しかし大型犬は小型犬など相手にしない。
いくらゆいまるくんがガウガウしたところで、すました顔をしてスタスタ立ち去る。
そこがまたかっこいい。
それに引き換えゆいまるくんは弱虫なくせになんでこうも犬に吠えるのか・・・
私が『ほれ』とリードを緩めると、ゆいまるくんは『おっとっとっと』と前のめりになって大型犬に寄って行ってしまう。
驚いたゆいまるくんは慌てて私の方に戻ってきて『あぶねえだろ!しっかりリード引いとけよ!』と言わんばかりに私を見上げる。
あくまでリードの長さの範囲での敵意むき出しなのである。
ところが今朝、久しぶりに見たシェパードは自分の足で歩けなくなっていた。
びっくりした・・・
そういや最近見ないな〜と思っていたら、どうやら飼い主の介護なしではお散歩もままらないようになってしまったらしい。
大型犬は寿命が短い。
10年ちょっとが平均寿命だろうか。
大型犬だから介護するにも一苦労だ。
このシェパードの飼い主さんは女性の方でとっても華奢な体つきをされている。
今朝の散歩の時は、シェパードのお腹をぐるりと布で巻いて体を持ち上げてあげてないと、もう後ろ足が動かなくなっているようだった。
あの細い体でシェパードを抱えて散歩させるというのは、とてもじゃないが大変だと思う。
でも長年ともに暮らしてきた家族だから飼い主さんも必死だ。
こんな状況がいつまで続くのかはわからないが、あらためて犬の介護という現実を見た気がした。
何でも自分の視野に入ってこないと実感ができない。
まさに今朝はそれを目の前に突きつけられた日だった。
介護が必要な状況になっても大好きなお散歩に連れて行ってあげたい。
あの飼い主さんはその一心で頑張っておられるのだろう。
愛情がないと犬の介護なんてできないな。
人間の介護もきっと同じなんだろう。
これも私がようやく最近気づいたことだが、私が毎日のように買い物に出かけるスーパーには、明らかに子供でも孫でもない感じの若者と一緒に買い物に来ている老人がいる。
それもかなりの数だ。
今まで気にも留めなかったから気づかなかったのだろうが、あの老人たちと一緒にスーパーで買い物をしているのがいわゆる介護士という方達なんだろう。
私もどこまでも鈍い男だ。
自分の興味の圏外にあるものは全くセンサーが反応しない。
特に目の前が食材だらけだとさらに感度は悪くなるからどうしようもない。
老人たちと一緒に買い物をしている若者はいろんな人がいる。
金髪にピアスをジャラジャラつけている若者。
ダボダボのジャージに中指をおったてたイラストのTシャツを着た若者。
中には老人が押しているショッピングカートの後ろから、スマホで何か話しながらついてきているだけの若者などなど。
これが介護というやつか。
何を介護しているのだろう?
介護されている老人はちっとも楽しそうじゃない。
若い介護士も老人にはまったく興味がなさそうだ。
おそらく職がなくて仕方なく人手が足りない介護職についたであろう若者。
そんな志のない人たちに介護を任せている介護業界。
もちろん誇りを持って介護士の仕事をされている方もたくさんいるだろう。
しかしなぜか私の周りで目に付く方はそういう方は少ないように思う。
せめてお客さまである老人に買い物くらい楽しくさせてあげたらどうだ。
おそらく介護される老人側にも何か問題がある人もいると思う。
私にもちょうど介護保険料の徴収明細が届いたばかりだ。
8月分からは少ない年金からさらに介護保険料が徴収される。
こんな光景を見るために私はこれから介護保険料を払うのか。
急になんか馬鹿らしくなってきた。
愛情のない介護なんてそれは介護とは呼ばないのではないか?
あのシェパードの飼い主さんのように、自分の身を削ってでも家族だったわんこの介護をする姿こそが本当の介護の光景のように思える。
お金のために介護職で働く若者。
愛のない介護のために少ない年金から介護保険料を払う老人。
誰も幸せにはならない。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食は冷汁。
カレイの干物の身をとっておいてそれで宮崎名物の冷汁を作った。
冷たい冷汁を熱々の炊き立てごはんにかけて食べるのがうまい!
素麺でもいい。
ランチは冷やし中華。
麺だけ買ってきてスープは手作り。
冷たい麺料理の中では一番だな。
スープは麺つゆと砂糖と酢、ごま油。
休肝日の晩ごはん。
ちらし寿司、冷汁、肉じゃが。
ロシア料理のニシンの酢漬けをいただいたので、それをちらし寿司にしてみた。
うまい!
酢飯に混ぜたのは大葉、茗荷、ごま。
酢飯っていくらでも食べれるな。
介助犬のように人間を介助する犬もいるが、介助犬もまた老いてしまえば介助が必要になる。
長年、人を介助してきた犬が、今度は自分が人に介助をされながら一生を終える。
介助犬でなくても、ペットとして飼われている犬たちは短い一生を人を癒すためだけに生きてきた。
今まで癒しを与えてくれた犬が一生を終える時、あのシェパードの飼い主のように愛情を持って犬の最後を支えるのは当然だろう。
全ての犬と人の関係がこうだったらどんなに素晴らしいことだろうか。
※昨日もコメントありがとうございます!
ブログによく登場するタグ