一度しかない人生をどう生きるか

老いるということ
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冬来りなば春遠からじ

 

よく耳にする言葉だが、実はこの言葉は日本で生まれた言葉ではない。

イギリスの詩人であるシェリーという方が言った言葉だそうだ。

 

英語の原文はこのような文章らしい。

 

「If winter comes,can spring be far behind?」

 

最後のクエスチョンはどういうこと?

もしかするとシェリーさんは

 

冬が来たから春ももうすぐじゃね?

 

って誰かに聞いてるのかもしれないな。

案外、自信がない人なのかもしれない。

 

まあ日本に限らず四季のある国では、寒い冬に耐えながらもこの言葉のような気持ちで春を待ったのだろうと思う。

春はもうすぐそこだよ。

 

日本にもどうやら春が訪れたようだ。

東京もこの数日の暖かさに春の気配を感じるようになった。

 

私の場合、外を歩くのに帽子がいらなくなると春遠からじと感じる。

ひよこのような薄毛センサーは、とても敏感かつ正確に季節を読み取ることができるからだ。

 

しかし残念ながらセンサーで季節を感じても、詩人シェリーのように気の利いた言葉にはできない。

凡人と天才の差はその表現力に尽きるな。

 

不思議と春と知ってか知らずか、室内の植物からも若い芽が伸び始めている。

春を喜ぶのはどうやら人間だけではないらしい。

植物たちもただじっとしているように見えて、何かのセンサーを働かせて季節の移ろいを感じているのだろう。

 

こうやって季節が前に進んでゆく。

これから桜の花が咲き、日本は1年で一番いい季節を迎える。

そんな季節にの命は散った。

 

この季節になるとどうしてもこの事を書かずにはいられない。

毎年同じようなことを書き続けているのは、毎年同じ気持ちになるからだ。

 

1年経てばまた春が来る。

そしてあの日はどんどん遠くなっていく。

 

そうやって何度も春を繰り返して私の心は穏やかになった。

もうすっかり嫁との記憶は思い出化されたようだ。

 

当時の強烈な喪失感も後悔も、7年という年月が懐かしくすら思える痛みに変えてくれた。

遠くなればなるほど全てのことはいい思い出だ。

 

春という季節も少し好きになれそうな気がする。

 

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一度きりの人生

 

季節が移ろうと、不思議と生きているという実感が湧くのは私だけだろうか。

 

春が来るのも1年ぶりだな〜。

 

小泉進次郎が言いそうな言葉にも聞こえるが、春が来れば確実に1年が過ぎたことになる。

それが生きてきたという実感につながるのかもしれない。

 

66回目の春だ。

そして67回目の春に向かって今日も変わらぬ1日が繰り返される。

 

こんな人生だったんだな〜。

いろいろあった。

いいことも悪いことも・・・

 

しかし今ここに立って自分の人生を眺めてみると、やっぱりいい眺めにしか見えない。

全てが遠い出来事だからだろう。

 

詩人シェリーは、冬が来れば春は近いよと言った。

しかし本当は、あなたがもし今辛い状況にいたとしても、必ず次はいいことが待ってるよと言いたかったのではないだろうか。

 

シェリーもまた春を何度も繰り返して、遠くから自分の人生を眺めてみて、きっといい眺めだと思ったに違いない。

人生は一度きり。

 

その一度しかない人生をどう生きるか?

おそらくどう生きても後から眺めてみたら、きっといい眺めになりそうな気がする。

 

そう思うのは私だけだろうか。

 

まあ、私も人生一度目なんでよくわからんが。

 

 

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