私が初めてSNSでアカウントを作ったのは
GREEだったと思います
ただ同じ頃に人気になったmixiの方に私はハマり
その後はmixi一本
当時のmixiの人気はすごかったです
私が仕事でmixiの本社に行った時に
たまたま担当の方から
非売品のボールペンをもらったのですが
そのmixiのロゴ入りのボールペンを
ワイシャツのポケットにさして
名古屋の居酒屋で同僚たちと
飲んでいる時の話です
隣の席に座っていたOLグループが
私のボールペンを目に止め
キャアキャア騒ぎ始めたのです!
ただのボールペンですよ
それからそのOLさんたちと
一緒に飲むことになり
なんとボールペンで
美人OLが釣れるというとんでもない時代でした(言い方!)
一方、GREEの方は
だんだん携帯ゲームに移行していきます
私もGREEの人気ゲーム『釣りスタ』は
課金するほどやり込みました
自慢じゃないですが
親指を疲労骨折しましたからね(鼻息)
バカかと言われればそれまでですが
本当に面白かったんですよ
そしてFaceBookとTwitterが登場します
15年くらい前でしょうか
このあたりからいわゆる投稿に対して
『いいね機能』がつくようになりました
ここから承認欲求という言葉が
盛んに使われるようになったと
私は記憶しております
いいねの数とフォロワーの数が
その人のステイタスとなり
多ければ多いほど
リア充かつ憧れられる存在
FaceBookで友達が1000人いる人は
なんか神のように言われてました
仕事で一度名刺交換した人ももう友達
なんなら会ったこともない人でもすぐに友達
友達ってなんなん?
本当の友達って
せいぜい10人くらいじゃないですか?
でもそれではFaceBookの
ビジネスモデルが成り立たない
だからやたらとアプリが
友達を紹介してくるし
友達を作れと煽ってくる
そうやってバーチャルの中だけで人気者は作られ
いいねがなかったり既読がつかないだけで
殺人まで起きるという時代になりました
よくも悪くもSNSの功罪でしょう
そういう私も当時は
一生懸命友達を増やしてましたから
あまり人のことは言えませんが・・・
SNSの世の中になって
なんだかより人は
一人でいるのが苦手になったような気もします
Instagramなどに投稿する写真って
だいたいがハレの日ばかりです
しかし普通の人は
そんなにハレの日ばかりはないわけで
そうなるとお金をかけてでも
映える写真を撮るために
おしゃれなカフェに行かざるおえない
そうやってでもいいねをもらわないと
承認欲求が満たされなくなる
なんか最悪です
私もその気持ちはよく分かりますが
普通ならどこかで気づくはず
自分はいったい何に縛られているんだろう?
誰のためにやってること?
SNSが脳内に快楽物質を大量に作り
自分が中毒状態になっている現実
私は老後になって初めて
孤独が楽しいことを知りました
一人で自分と向き合う時間
今の立ち位置から振り返って見る自分の人生
どれもこれも老後だからこそ
得ることができた時間でした
でも若い人でも
一人が好きな人が結構いるんですよね?
YouTubeでもよく見かけます
一人遊びが好きで一人でも楽しめる人を・・・
こういう方は今が幸せであることに
気づいている人なんだと思います
私にはできませんでした
孤独でいれる人とは
周りに迎合せず自分の信念を持っています
他人の評価を気にせず
静かに自分の心と向き合い
自分がやるべきことやりたいことを
見極めている
周りの人から見ると
ただの孤独な人に見えるかもですが
本人は自分の生き方を
ただ貫いているだけです
他人の承認よりも
自己の承認を優先している人は
自分を幸せにすることが上手な人でしょう
私はそれに気づくのに時間がかかりました
それでも気づけたことは
本当に良かったと思っています
もっと早くに気づいていれば
この幸福感はもっと長く続いていたでしょう
時間を食い尽くしても
そんなことに気づかず死んでいく人も
きっといるはずですから
時間というものもまた面白いものです
孤独な時間を過ごしている間に
嫌なことも嫌なやつも全部時間が押し流して
綺麗さっぱりに片付けてくれてます
それもこれも歳をとったから
いいね〜!
このいいねは、自己承認、自己肯定、自己受容です
そして時間の流れと加齢は同期していますから
歳をとればとるほど
若い時の失敗も
幼稚な自分も
うわべだけの人間関係も
全部時間の濁流に
消えてしまう仕組みになっています
そして清々しく
自分の機嫌は自分でとりながら
孤独な人生を楽しみませんか?
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!