私は高齢者の方と話す機会があれば
だいたいこの質問をすることにしています
『いい人生でしたか?』
するとほとんどの方は
キョトンとされるか
しばらく考え込む方が多いです
キョトンとされる方は
なぜそんな質問をするのか理解できないのか
そもそも自分の人生がいいか悪いかなんて
考えたこともないという方かもしれません
一方、考え込む方は
いい人生だったかといきなり尋ねられたことで
まさに自分の人生を振り返る方なんです
そりゃ多少時間はかかりますよね
なんせ60年も70年も生きているわけですから・・・
そう簡単に答えは出てきません
一生懸命考えたあげく
良かったか悪かったかは
結局はよくわからないという方が多いです
中国のことわざに
『禍福は糾える縄の如し』
ということわざがありますが
その意味は
幸福と不幸はより合わせた縄のように
交互にやってくるという意味だそうです
いいことと悪いことが交互にやってくるんだから
後からいい人生だったかと考えてみても
いや、よくわからんな〜となるのが
当たり前のような気もします
それにしても昔の中国人は
いいことを言いますよね〜
それなのにどうして今の中国人は
あんなに民度の低い国民に
なっちゃったんでしょう?
先人に学びなさい!
実は私の母へも以前
この質問を手紙で聞いたことがあります
手紙の場合は即答する必要がないので
十分に考えた挙句だと思いますが
こんな内容の手紙が返ってきました
母は当時80歳後半という年齢
いつもながらの達筆には頭が下がります
『あなたが(私のこと)家族と出会ったことこそが
幸せな人生だったと言うのなら、私の人生は
いい人生ではなかったのでしょう』
こういう内容でした
私が母に送った手紙に家族のことを書いたため
生涯を一人で生きた母は
このような回答にならざるおえなかったのでしょうが
幸せなんて人それぞれですから
私の物差しで母の幸せを測る必要はありません
しかし、母は自分の物差しを
持っていなかったのでしょうね
手紙を読んでちょっとかわいそうになりました
私がいろんな高齢者の方に
『いい人生でしたか?』と聞けば
必ず先方も私に同じことを聞いてきます
『だったらあなたはいい人生だったんですか?』
そして私は必ず『いい人生でした!』
と答えることにしています
しています?
していますと言ってるのは
実は私もたいして考えもせずに
『いい人生だった』と言ってるからです
自分の人生が良かったか悪かったかなんて
じっくり考えたところで
みなさんと同じく私だってよくわからないです
だって『禍福は糾える縄の如し』なんでしょ?
いいことも悪いことも
次から次へと起こってきた人生ですから
何ならちょっと悪い事多めの人生だったようにも思います
でも私がいい人生だったと思えるのは
いいことも悪いことも全部ひっくるめて
『良かった!』と思えるからなんです
いい出来事、悪い出来事、
それぞれカウントする必要なんてないんですよ
最悪の事態だって今振り返れば笑い話
どん底に落ちたって、時は経ち
今は人生の頂上付近にいるわけでしょ?
今となっては全てがいい思い出なんです
私と同世代の方達にこの質問をするのは
歳をとったらこういう心持ちでいてほしいなと
思っているからあえて聞いてるんだと思います
みんな同じ人類ですから多少の差はあれど
人としてみんな似たような人生を送ったはずです
映画や小説じゃないんですからね
みんながいい人生だったと思えれば
幸せな気分で死ねるんじゃないかな?
実は・・・
亡くなった妻にもこの質問をしたかったです
そして妻の返事を聞きたかった
妻は幸せな人生だったのか
いい人生だったわと言ってくれただろうか
私は妻と一緒の人生で幸せでした
妻のおかげでいい人生だった
でも聞きたいことも
伝えたかったことも
何一つ言えませんでした
もっともっと
時間はたくさんあると
思っていましたから・・・
本当にごめんな〜
もう、何もかもが
届かないんです
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!