生きているから美しい
私のブログを長く読んでいただいている方はご存知かと思うが、私は花が好きでよく切花を買っては部屋に飾っている。
花だけでなく観葉植物も好きで部屋中が観葉植物だらけだ。
枯らした観葉植物もたくさんあるが、意外に育てるのはうまい方だと思っている。
今年だけでもどれだけ植え替えしたかわからない。
動物も植物も愛情を注げばちゃんと答えてくれる。
前にも書いたが私は池坊という華道を少し習っていた時期がある。
自慢ではないが一応講師の免状は持っている。
自慢だろ。
しかし私はとても真面目に華道の稽古に励んでいた。
ただ、真面目に稽古していた理由はとても不純だ。
とにかく池坊に通っている女子は美人が多かったのだ。
先生は厳しいおばあちゃん先生で格式のある教室だったので、当時は着物で稽古に来ている女子も多かった。
おかげで私は生け花もうまくなったが、なぜか着物の着付けもうまくなっていた。
おい!
まあそういう経験もあり花屋の友人の展示会にも足を運ぶし、ゆいまるくんの散歩の途中で綺麗な花を見つけるのも楽しくて好きだ。
花のあの美しく鮮やかな色はどれも自然の色だからだと思う。
そうだ。
花は生きているから美しいのだ。
生きているからこそ美しい花たち。
だから私は造花が嫌いだ。
生のない美しさは魂のない人形と同じ。
所詮、造り物の美しさだと思う。
いつまでも枯れない造り物の花よりも、命の限り私たちのために一生懸命咲く花がいい。
そして役目を終えて色褪せて枯れていく花だからこそ、私たちは精一杯の美しさに感動する。
枯れない花は手がかからない。
しかし生きている花は水を替え水切りをし手をかけるから生きている。
生ある花はその手間さえも楽しみの一つだ。
祭壇の上の嫁の写真もまた造花のように枯れない。
いつも私の方を見て笑っている。
造り物の造花は嫌いなのに枯れない嫁の写真は壁のいたるところに飾っている。
おかしな話だ。
6年前、嫁は役目を終えた花のように枯れて散った。
それから私は、枯れない造り物の嫁の写真に毎朝ビールと水をあげ、話をし、手を合わせている。
悲しいがもう今となっては造花のような嫁の写真にしか手の合わせようがない。
生前の嫁は枯れてしまう花が嫌いだった。
だから君は造花になっちゃったんだな。
いつまでもフレームの中で笑っている君は、もう造花のように死ぬことはないんだね。
本当に・・・
嬉しくて悲しいよ。
※この記事は過去に書いたものをリライトして再掲載したものです。
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