60代の生き方を教えてくれた人生の先輩〜自分の道を照らすもの

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自分であればいいと気づく

 

早いもので60代になってもう5年。

60代経験者としてはもう中堅と言ってもいいだろう。

以前も書いたが、自分の人生を振り返ったとき50歳代というのがもっとも濃厚で充実した時期だったと思う。

 

人生の後半をいかに生きるか。

そのために何を学び、『何者』として生きていくのか。

そういうことを50歳代がすべて決定づけてしまう。

 

まだ自分が何者と呼ばれたいのかこだわりがあった50代。

誰もが若い頃から何者かになりたいといつも考える。

 

何者とは役職のことではない。

もっと個人に近い何かだ。

職業になる人もいる。

 

私がまず子供の頃に憧れたのは『漫画家』だった。

それから『ギタリスト』へ変わった。

そして仕事をするようになってから、自分が何者になりたいのかわからなくなった。

 

なかなか見つからない『何者』

なかなか手が届かない『何者』

 

それが60代になるとあることに気づく。

それは何者にもなる必要がなくて『自分』であればいいと。

しかしそれに気づくまでにはずいぶんと時間がかかった。

 

あなたはまだ何者探しをしているのか?

 

参考:『何者かになりたい』熊代亨

 

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私の道を照らしてくれた人

 

中年やおじさんと言われる50代。

嫌な呼ばれ方だったな。

ちょっと悪意すら感じる。

 

しかし腹は出て薄毛はどんどん進行し、加齢臭漂うおじさんになったことを自分自身が一番認めることになる。

ただし、もう毛髪でいじられることはなくなる。

なぜなら本当に薄毛になるといじる方もいじりづらいのだ。

 

朝晩飲む薬の量は増えるが鏡を見る回数は減る。

もう自分の容姿に興味も湧かなくなる。

 

シミは日本地図のように増え続け皮膚はたるみ、自分の口臭で目が覚めるようになる。

 

『おじさんってすげーな!』

いつのまにか老化もなかなか面白いぞと思えるようになったら、もうあなたは立派なおじさんでありおばさんだ。

 

時間は容赦なく老いへの一本道を進んでゆく。

年齢とともに人生の選択肢はどんどん減っていくが、気づいたら最後はただの一本道になっているのだ。

人生が選べたのはいつ頃までだっただろうか?

 

はて?

 

そうなるともう悩んでも仕方がない。

腹を決めて老いも楽しもうと心が勝手にこぶしを握っている。

 

そして迎えた60歳という歳。

その入り口に立った時、私はどんな60歳になろうかと考えた。

諦めと期待とがない混ぜになっていた。

しかしこれと言ったお手本もなく時間は過ぎるばかり。

 

あっという間に5年の月日が過ぎて、そして今65歳ももう半分過ぎようとしている。

うかうかしているとじきに70歳だ。

ただ冷静に60歳代を振り返ってみると、私の暮らしぶりは誰かの生き方と同じだと思えた。

 

植物を育て犬を飼う。

陽が昇れば目を覚まして仕事をする。

あたりが暗くなると酒を飲み早々に寝る。

 

生来の綺麗好きで部屋が散らかることはない。

繰り返される毎日は好きなことだけで埋められている。

 

そういやそういう人が誰かいたぞ?

 

その人は毎日が本当に楽しそうだった。

そうだ!

私が60代の生き方を学んだのは私の祖父からだ。

物心ついたころから私は祖父と祖母との3人暮らし。

それは高校卒業まで続いたから、祖父と祖母の老後の人生を私は誰よりも至近距離で見てきた。

 

そしていつのまにか自分が祖父の歳になり、私が毎日やっていることは祖父がやってきたこととほぼ同じだと気づいた。

意識して真似たわけでもない。

おそらく子供ながら歳を取ったら祖父のような自由な生活をしたいと、無意識に思っていたのではないか。

 

祖父も当時、言葉として口にすることはなかったが、暗にこういう生活もいいぞと教えてくれていたように思う。

 

どこまでが我が家の畑でどこからが山なのかわからないようなところに、祖父はいろんなものを育てていた。

バナナ、レモン、ぶどう、桃、柿、やまもも、さくらんぼ、すいか、メロンなどなど。

野菜もほぼすべて自給自足だったし、鶏が産む卵の回収は私の仕事だった。

 

秋になると祖父だけが知っている秘密の場所へ松茸を取りに連れて行ってくれた。

松茸がこんなに高価な食べ物と知らない頃のことだ。

ぶどうで自家製のワインを作り様々な果物でジャムを作った。

 

庭と畑になる果物だけで私は季節を知った。

 

畑でとれた野菜で祖母が酒の肴を作る。

祖父はそれで酒を飲みいつも陽気にいろんな話をしてくれた。

どれもこれも何度聞いたかわからないほど繰り返し聞いた話だ。

 

今は私が娘に何度も同じ話をする。

娘はそれを聞きながらそっと私に向けて3本指を立てて見せる。

それでこの話をするのは3回目かと私が気づく。

厳しい娘だ。

 

祖父はもともと一代で建設会社を興した男である。

田舎では名士だった。

 

しかし会社は早々に息子である叔父に譲り、50代後半からは好きなことばかりやっていた。

今思えば、祖父と祖母の3人暮らしもまた楽しかった。

 

祖父は私を育ててくれた父親であり、また先生であり、老後の私の道を照らしてくれる大先輩でもある。

 

『じいちゃん!今日の収穫だよ』

 

 

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老後のおひとりさまごはん

 

そういや祖父は野菜ばかり食べていた。

そんなところも似たのか。

 

昨日の朝食だ。

 

サラダバー。

 

 

ランチは昔ながらの中華そば。

 

 

3食入りで199円のお安い醤油ラーメンだ。

いろいろ食べたがこれが一番うまい!

 

 

晩ごはんは鶏胸肉の玉ねぎソース焼き、ズッキーニのガーリックしらす、切り昆布の煮物、サラダ。

 

 

すりおろした玉ねぎに胸肉を漬けておくと柔かくなる。

外はパリっと。

中はジューシー。

 

大葉もぺこりファームで収穫した。

 

祖父のように自給自足には今は程遠いが、もしかするともう少し未来では私は畑を耕しているかもしれない。

 

人生の最後についに見つけた何者とは・・・

 

農家かもしれない。

 

コメント

  1. 私の夫は、今年初め65歳を目前に旅立ちました。

    夫の性格ではあり得ないこととわかっていながら「彼にもこんな老後を送って欲しかったな」と思えるブログ内容でした。

    「今日の収穫だよ」の後で、可愛らしい画像が目に入った途端 「わはは!」と声を出して笑ってる自分がいて、その勢いでコメントしてます。

    最近は、ここでのおひとりさまごはんを見習い、見た目も気にして盛り付けるようになりました。

    本当に美味しそうに写っとる!味は知らんけど笑。

    • ゆるゆるさん

      初コメントありがとうございます!

      そうですか。
      ご主人様は長い旅を終えられたんですね。
      たった1行で終わる人生は儚いですが、きっと抱えきれないほどの思い出がありますね。
      私にとってはこういうコメントをいただけるのが毎日のごはんです。
      ありがとうございます。

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