たしか中学2年生の時のことだった
田舎の学校にしては珍しく
芋中学生たちの中に一人だけ
お金持ちのお嬢様みたいな女の子がいた
名前はM本Y子さん
昨日の晩飯すら思い出せないほどの
貧弱になった記憶力のはずなのに
なぜか彼女の名前だけは今でも覚えている
わずかに残された記憶領域を
こんな無駄なことで使ってていいのか!
しかしこのY子さんのことは
最後に見た彼女の表情まで
今でもはっきりと覚えている
女の子のこんなに悲しそうな表情を
思春期の私が初めて見た瞬間だった
この日のホームルームの時間に担任は
Y子さんが田舎の中学から都会の中学に
転校することをクラスメイトの前で伝えた
Y子さんはみんなにお別れの挨拶をした
しかしたいして会話も交わしたことがなかった私は
なんの感情もわかなかった
遠く離れることが寂しいとか悲しいとか
なんにも・・・
ところがホームルームが終わってすぐ
Y子さんは机から何やらリボンのかかった箱を取り出すと
スタスタと私の席の方に歩いてきて
なんとリボンのかかった箱を私に差し出したのだった
へ?
ホームルームが終わった教室内は
無邪気な芋たちでざわついていた
ところがY子さんの予想外の行動を見たとたん
あんなにざわついていた教室内が
映画が始まる直前の映画館のように
シーンと静まり返った
みんなが私とY子さんに注目している
そしてY子さんは箱を私に渡しながらこう言った
『私のこと忘れないで』
本当に心底どうしようもない田舎者で純情で
うぶな童貞少年だった私は
ここで気の利いた言葉一つも言えないのである
そっと肩を抱き寄せて
『バカだな・・・忘れるわけがないじゃないか』
とか
『女神ですら僕の記憶は消せやしないさ』
とか
それくらい気の利いたことをなぜ言えない!
しかし私は
Y子さんの痛いほどの悲しげで真っ直ぐな視線に
目を合わせることすらできず
『こ、これもらってよかと?』
とマヌケな返事を返しただけだった
あ〜、本当にもったいなかった失礼だった
あの時が初めてのクラスメイトとの別れだった
ろくに話したこともなかったのに
次の日から急になんか寂しくなった
人間って少しでも気持ちがつながると
別れるのが辛くなるんだと
中2で初めて知った
箱の中身はアルバムだった
きっとこのアルバムにY子さんの写真を貼って
見るたびに私を思い出してね
という意味だったのだろう
しかしそもそもY子さんの写真など私は持ってない
当時、スマホもないからカメラなんて高価なものを
持っている中学生なんていない
だから仕方なく
Y子さんにもらったアルバムではあったが
平凡パンチのエッチなグラビアの切り抜きを
貼ることにした
それが真の中2だ
別れとは寂しいものである
思えば物心ついた時に両親と別れ
私を育ててくれた祖父母とも
順番に別れが訪れた
『さよならだけが人生だ』と
井伏鱒二が言いたいのもよくわかる
しかし出会いがあるから別れがあるわけで
別れても別れても人は
出会いを求めているのかもしれない
そしてその出会いには
必ず別れが付きまとうということには
頭が巡らない
それは愛する人との結婚も同じ
結婚する時に死別を覚悟している人なんて
この世にはいない
神父がチャペルで『死が二人を分つまで』と
ご丁寧に忠告までしているのに・・・
友人が勤務している介護施設では
ご夫婦で入所しているという方はごく稀らしい
ほとんどがおばあちゃん一人で入所しているのだそうだ
おじいちゃんもとても少ないらしいので
介護施設は日本の男女の寿命差を
もっとも適切に観察できるところのようだ
そして入所されている老人たちは
ほとんどの人が死別を経験して
ここで余生を送るのである
しかし有り余る時間を一人で使うのはなかなか大変だ
私ももう9年もこうやって一人時間を使ってきた
今はまだご夫婦とも健在で
夫婦生活を楽しんでいるという方も
間違いなくいずれ死別することになる
酷な言い方に聞こえるかもだが
必ず訪れる未来であれば
事前に何か対策が打てるということでもある
であれば私のこの9年間が
少しはみなさんの参考になるかもしれないと思った
死別を経験することはとても辛い
でも一人になってからの時間の使い方によっては
その後の人生も
案外悪くないと思ってもらえるかもしれない
長い夫婦生活では
1日24時間を二人で分け合って使ってきた
それがある日を境に自分一人で使う時がくる
二人で使うことに慣れていたのが
いきなり自分一人で24時間を使い切るというのは
まず使い方がわからない
最初はとてつもなく24時間が長く感じるものだ
そんな長い一人時間を
私はこうやって使ってきた
長年連れ添ったパートナーが亡くなると
自分も生きる気力をなくすという方が
多かれ少なかれいると思う
私も実はそうだった
心も体も動かせない
だからまず自分の心を動かせるきっかけを
どうにかして見つけなければならない
2年かかっても3年かかっても・・・
私は幸いにしてある人からの言葉が
心を動かすきっかけになった
きっと些細なことで
一歩前に進んでみようと思う時が来る
そうやって心と体をストレッチして
少しでも動けるようになったら
散歩でもいいしどこかへ旅をするのもいい
もしまだ仕事をしているなら好都合だ
否が応でも通勤で体を動かす
仕事が終わったら誰もいない家には帰らず
行きたかった居酒屋で酒を飲んだり
人生経験豊富なママがいそうなスナックを探して
ママと一緒に歌でも歌おう!
そうするといつの間にかあんなに長かった1日が
だんだん使いこなせるようになる
そうやって少しづつ体温が上がったら
何か思い立ったら色々考えずに
なるべく行動を起こすようにしてみる
こうやって体を動かすことが大事だ
いつまでもそこに止まっていては
悲しみの渦から逃れることができなくなる
一人時間をうまく使えるようになったなら
夫婦で暮らした長い時間を
あらためて思い返してみたらいい
時間はたっぷりある
私との結婚生活は幸せだったのだろうか
答えなどないことも考えてみたらいいと思う
今は仕方なく一人で食べているご飯も酒も
二人で食べるとあんなに美味しいものなんだな〜
今、一人で見ている景色も
二人で見るともっと美しく見える
同じ歩調で隣を歩いてくれるだけで
私は生きていけた
喧嘩もした
夫婦生活は不自由なものだと思った
でも・・・
その不自由さがなんと幸せだったことか
相手がいなくなってからしか気づけないことが
次から次へと浮かんでくる
結婚という人生を選んだから気づけること
一人になったから気づけることに
たくさんの時間をかけたらいい
するといつか悲しみが感謝に変わるから
孤独な時間もまた
人生には大切な時間なんだと思う
本当に自分を振り返ることができる時間は
一人のときだけ
死別というどん底にいた自分が
心から感謝できる人がいたことに気づいたとき
なんと素晴らしい人生だったんだろうと
あなたは必ずそう思う
私がそうであったように


コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!