老後が幸せな人は幸せ探しが上手〜小さな幸せを拾い集めていたらこんなに大きな幸せに

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この歳だから言える

若い頃に感じる幸せってなんだったのか?

実はあまりよく覚えていない。

若い頃は、愛する人と結婚したり子供が生まれたりという、人生の大きなイベントが次々と用意されているから、そのときはたしかに幸せだと感じていた。

しかしそういうイベントは自分以外の第三者によってもたらされたことが多い。

 

まわりにはいつも友人がいて、楽しい飲み会やバーベキュー、旅行などなど、みんなで楽しむことが多かった。

しかしそういう時間もとても幸せな時間だった。

 

ところが老後になるともう大きな人生のイベントなどない。

あるとすればまわりの高齢者がバタバタ死ぬので葬式に行くくらいだ。

 

葬式では幸せにはなれない。

だからひとりになった今、第三者の誰かによって幸せがもたらされることなど皆無なのだ。

老後のおひとりさまとなった今、幸せとは自分で見つけて拾い集めないと見過ごしたまま気づかないで終わる。

 

今までは社会との関わりの中で感じてきた幸せの実感が、老後は個の暮らしの中から見つけ出す術を身につけなければ、そうやすやすとは手に入らなくなるのだ。

だから人は社会とつながりたがるのかもしれない。

SNSでもそうだ。

たいした理由もなくつながっている人たち。

 

会ったことも直接話したこともないのに、なぜかSNSでは友達として登録されている人が大勢いる。

きっとみなさんもそうだろう。

なんの意味もない人だ。

 

しかし若い頃はそういう無意味なつながりが大事に思えて、えせ友人たちの『いいね』やコメントに一喜一憂する。

ときには批判されたり無視されたりするものだから、無意味なつながりが幸せどころかストレスになってしまい、なんのための友達なのかわからなくなる。

 

老人はいいな〜。

嫌な人がいたら耳が聞こえないふりをしてればいい。

もう社会とのつながりなど希薄だから、自分に都合のいい情報だけを取捨選択して受け入れる。

楽しいと思った瞬間だけを切り取って『幸せの小さな箱』にしまう。

こうやって老後は幸せを拾い集めるのだ。

 

今日も美味しく酒が飲めた。

それだけで幸せ。

発泡酒で十分だ。

酒が飲めるということは健康な証拠だし、病院ではなく自宅にいるからこそ酒が飲めている。

 

おまけに安酒でもちゃんと買えるお金があったということにもなる。

お金にも困ってない。

目の前にはわずかな酒の肴も並んでいるはずだ。

それを幸せと呼ばずに何と呼ぶ。

 

それ以上の幸せは身の丈にあわない。

幸せのハードルは地面に埋もれて海抜以下くらいでちょうどいい。

ハードルが低ければどんな小さな幸せにも敏感になる。

 

年金が少ないと不平を言うより感謝を口にしよう。

何も起こらない老後の退屈な日々。

小さな幸せを見つける時間はたっぷり用意されている。

 

箱に集めた幸せを持っていつかあの世に旅立つ。

 

死の恐れも何もない。

箱のおかげであるのは満たされた心だけだ。

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食はカリカリベーコンエッグ定食。

いいベーコンはきれいに焼ける。

しかし流れ出る脂の量が半端ない。

CMじゃないけどほんと糖と脂って美味しいのよね。

 

ランチは春キャベツの極太焼きそば

厚切りの豚バラと春キャベツを入れて、オイスターソースとナンプラー、砂糖で味付け。

もっちもちの太麺が最高!

 

夜はロシア料理のシェフからもらったベシャメルソースというかクリームシチューというか、それで何か不思議なものを作ってみた。

なんだろうね、これ?(笑)

 

スパイシービーフが残っていたので、ターメリックライスにトッピングしてクリームシチューと一緒に食べる。

口の中にはいるとビーフストロガノフみたいな味だが絶妙にうまい!

昨日は休肝日だったのでごはんにしたが、最近は飲まない日も楽しみになってきた。

いいことだ。

美味しい料理は心も体も満たしてくれる。

幸せだ。

 

そういや、最近歳をとって胃が小さくなったとほざいてた親父がどこかにいたな。

霜降り肉は1切れでいい!とか言ってたが、このトッピングされているスパイシービーフはA5だろ!

 

霜降り肉うま〜い!!( ̄▽ ̄;)

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