この手の話が多すぎる
私は手相を習いに学校まで通ったがしかし私は占いが好きではない。
血液型占いもめざまし占いも動物占いも信じない。
この時点で今日はブログの読者からだいぶ反感をかっている気がする。
『水瓶座の今日のラッキーアイテムは黒のパンティストッキングでした〜!』
私にどうしろと言うのだ。
じゃあなぜ高い授業料まで払って手相を習いに行ったのか?
それは勉強もせずにただ嫌いだと言っても、それはただの好き嫌いの話で終わってしまうからだ。
しかしちゃんと勉強して、それで私は信ずるに値しないと結論づけているだけ。
手相を勉強したのにはもうひとつ理由がある。
嫁が難病で60歳前に亡くなることを30年以上前に予言した占い師がいた。
その占い師のとおりに嫁が亡くなったことが衝撃だったのだ。
それで私は本当にそんな予言ができるものなのかと、それを少しでも理解してみたくて嫁の死後、占いの学校に通ったのだ。
しかし結論はわからなかった。
ただ手相は過去はよくわかることを知った。
人の手相を見てあげても驚くほど過去のことはよく当たった。
しかし未来となるとそれはどうとでも言えるのだ。
占いは過去を当てられると信用するが、実は過去のことを当てられてももう終わったことだから意味がない。
未来がどうなるかということをみな知りたいのだ。
そこでこぞって占い師が言うのが『運命は変えられる』という言葉。
あるいは
『運命はこの言葉だけで劇的に変わる』
とか
『宿命は変えられないが運命は変えられる』
などなど。
胡散臭いキャッチコピーが並んだ書籍が山のように本屋には積まれている。
このなんとでも言える未来について、あたかも自分の本を読めばあなたの運命を変えてみせるという嘘が嫌いなのだ。
ついでに言うが、というかいつも言っているが私は『相田みつを』も嫌いだし偉人と呼ばれるような経営者が書いた本も読まない。
私くらいの年齢になれば誰でも自分の哲学を持っているだろう。
もう人が書いた哲学に感心している歳ではないのだ。
自分の運命は自分で変えるのではなく、切り拓いて生きていく。
黙っててもいい運命なのかもしれないのに変える必要がどこにある。
しかしなぜ運命が商売になるのか・・・
それはこの手の本を読む人が多いからだろう。
『宿命は変えられないが運命は変えられる』
なんだかもっともらしい言い回しだが、そもそも運命や宿命の意味って何?
Oxford Languagesによると運命とは
『人間の意志にかかわらず、身にめぐって来る吉凶禍福。めぐり合わせ。転じて単に、将来。』
権威ある辞書では人間の意志では変えられないとなっている。
まあ、『単に将来』と書いてあるのが面白いが、将来が変わったかどうかなんてやりない直せない人生なんだから確認しようもない。
だから占い師はなんとでも言えるのだ。
そして宿命とはどういう意味?
『前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの。』
『運命的なもの』?って運命ってことじゃないの!
『宿命は変えられるが運命は変えられない』って、言葉の意味からしておかしい。
そしてよくあるのがこれ。
『運命はこの言葉だけで劇的に変わる』
これを書いている占い師さんが言うところの『運命を変える魔法の言葉』とは、調べてみるとだいたいこれだった。
『ありがとう』『感謝します』『ツイてる』
だそうだ。
この3つを唱えると運命が変わるそうだ。
しかし何度も言うが変わったかどうかの確認のしようはない。
小学生の道徳の教科書か!と思うような言葉だが、この3つの言葉が運命を変えると結論づけている本が大量にAmazonで販売されている。
さすがに『ツイてる』は小学校の教科書には出てこないだろう。
私は毎朝嫁とらんまるの写真に向かって『ありがとう』と『感謝しています』のこの2つの言葉は、延々と繰り返して唱えている。
私は魔法の言葉を唱えていたのか。
『ツイてる』は昔パチンコに行ってたとき、珍しく勝った時には言ってたな。
『お〜!今日はめっちゃツイてた!!さあこれでビール飲んで焼き鳥食って、三茶のスナックに行くぞ〜!!』
運命が変わる気など1mmもしない。
老後のライフスタイル
大葉が発芽してそろそろ植え替えようかと思っているところに、友人がなんと大葉とパセリの苗を持ってきてくれた。
大葉を育てたいというのを聞いて、たまたま目にした苗を買ってきてくれたのだ。
たいへんありがたいが、大葉はすでに100本くらい発芽している。
もはやプランターでは間に合わない。
畑が必要になってきた。
休肝日明けはいつものビアバーへ。
このクラフトビールが実に美味しかった!
めっちゃ長い名前で覚えられなかったがHAZY IPAの好きな味だ。
GIGANTICの新しいグラスがはいったというので買った。
クラフトビールのグラスでこんなジンのグラスのようなスタイルは珍しい。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はモンティクリスト。
カナダの朝食らしいがクロックムッシュと何が違うのかよくわからない。
ランチは博多長浜ラーメンと半チャーハン定食。
インスタントなのによくできてるラーメンだ。
チャーハンは小栗旬が食べている冷凍チャーハン。
『家で食えます』
晩ごはんはビアバーの帰りに下高井戸の駅前市場まで足を伸ばした。
そうだ。
下高井戸の駅前には小さな市場があるのだ。
賑わっているのは魚屋さんくらいだがけっこうお客が多い。
赤貝のお刺身とトロたくを買った。
卯の花はお隣の惣菜屋さんで買ったが、やっぱおからは自分で作った方がうまい。
私が占いを教わっていた有名な先生は、自分のことはわからないと言っていた。
人のことはなんとでも言えるが、自分のことはリアルな将来だから迂闊なことは言えないのだ。
というか、わかるわけがない。
自分がどんな人生をたどり、いつ死ぬかがわかってしまっては怖くて生きていけない。
占いの先生もそこだけは正直だなと思った。
あとその先生はもうひとつこんなことを言っていた。
『人を占うときは悪いことを言ってはダメだ、いいことを言ってあげなさい』
と・・・
要するに本当のことを言っちゃダメだいうこと。
占いというよりコーチングだな。
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