余生という老後に残された時間〜何を考えてどう生きるのか

ゆいまる
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生への執着

 

今月で私もひとつ歳をとり64歳となるが、確実に死へ向かって1歩近づくことになる。

以前、老化による自分の変化も楽しいと書いたことがある。

 

歳をとるとこんなに体のあちこちが痛むものかと、最初はちょっと悲観的にもなったものだが、そのうち次はどこが痛くなるんだろうと、楽しみとは言わないがちゃんと心の準備はしている。

 

老化によるシミ・シワ・皮膚のたるみなどの変化。

 

老眼に乱視に緑内障という視力の衰え。

 

靴下も長靴も立っては履けない。

 

椅子から立ち上がるたびにリセットされる記憶。

 

そしてまた座って何をしたかったのか考える。

 

 

余生とは老化現象との戦いの日々なのだ。

しかし、その老化現象とも二人三脚で歩かなければならない。

二人三脚だができればスキップで歩きたい!

 

正月に会った女性の友人が言っていた。

 

『幼少期は親からのDV、結婚してからはうつ病により家庭内別居状態。もういつ死んでもいいと思って、死ぬことがまった怖くなかった』

 

と。

 

しかし、この女性に好きな男性ができた。

ご主人と離婚調停中の最中である。

 

すると彼女は気持ちがこう変わったという。

 

『好きな人ができて死ぬことが急に怖くなった。死にたくない。長生きして好きな人と一緒にいたい』

 

 

よく『この世の未練』という言い方をするが、死への恐怖とは裏返せば生への執着であり、この世に執着すべき人や何かがある場合にそうなるのであろう。

 

『死にたくない、生きていたい』と人は思う。

 

しかし、地球の人類が自分たったひとりだったら、きっとそんなことは思わないと思う。

 

 

私は今月64歳になると書いたが、個人的なことで言えばどうせもうすぐ死ぬのであれば、死ぬことすら楽しみにしていたいと思う。

 

人が最後に迎える死というイベントは、いったいどんなものなんだろう?

人間として最後に経験できる唯一のイベントだ。

 

ワクワクまではしないが、そう考えるとそんなに嫌なものでもなくなる。

 

実は天国も来世も私はないと思っていて、生まれ変わることもなければ霊魂もない。

何もないのだ。

 

仏教の始まりは釈迦が修行により真理を覚ったからだが、仏陀となった釈迦もこう言っている。

 

死んでも極楽もなければ転生もしない。

ただ無になるだけど。

 

仏教も宗派がいろいろあるが、禅宗が教えるところの

 

『人はすでに仏だから、仏が死後を気にすることはない。

生き死にを超越しているのであれば死ぬことなどどうでもよい』

 

という教えには、私はなんとなく共感する。

 

 

死んだにもかかわらず、またあの世とやらで一から生を始めるなんて面倒臭くないか?

 

何かに生まれ変わると説く宗教もあるが、それも結局は生への執着であり生まれ変わってでもまた生きたいと言い換えてるだけだ。

 

人生を全うして往生したのなら、この世に未練など残さず潔く死のう!

 

自分自身へお疲れ様だ。

 

 

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余生とは自分への執着を終了する時間

 

私は神様も仏様もあまり信じてない。

あまりと付け加えたのは、まったくではないからだ。

 

路傍の石でも手を合わせれば神になると思っているし、天に祈ればそこには神がいるはずだ。

 

電車でわざわざ出向いてコンクリートでできた鳥居をくぐり、派手な飾りつけの本殿で賽銭を投げないと祈りも届かないのが神ではないと思ってるだけ。

 

ウィルスでこれだけ多くの人が死んでも、地球上の半数の人が貧困で飢えていても、見えない神様は沈黙のままである。

 

そんな神より自分の心の中にいる神を私は信じる。

 

死後の世界はない。

しかし、死んでしまっても記憶にあれば生き続ける。

だから嫁は死んでも私の中で生き続けているのだ。

 

余生とは、老後に与えられた自分を見つめ直す時間であり、人生を整理して自分終いを行う時間だろうと思う。

 

そしてどんどん老いぼれて醜くなっていく容貌や体の痛みは、少しづつ自分の肉体への執着を止めるように仕向けられている、ひとつのシステムのような気がする。

 

死への準備のための老化システム。

 

そしてシステムのスイッチはスタンバイからONに切り替わった。

 

 

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今日のゆいまるくん

 

ゆいまるはお散歩服を着るのが嫌いだから、冬以外は全裸でお散歩している。

いつもしっぽを上げてお散歩しているのでアナルもオープンだ。

 

犬は可愛いが自分は犬にはなりたくない。

みんなにアナルを見せながら歩くのだけは無理!

 

しかし冬はさすがに全裸では寒いので、この時期だけは洋服を着せることにしている。

ゆいまるは赤ちゃん柄の洋服がよく似合う。

 

 

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食はトーストと野菜チャウダー、フルーツ。

世田谷のコンビニで地元の野菜を販売しているのがニュースで話題になっているが、そのコンビニで買った葉付きみかん。

 

このみかんが甘くて本当に美味しかった!

みかんの表面がつるんとしててなんだかみかんじゃない感じだ。

 

苺はあまおうだが甘くない。

 

 

 

ランチは初めての登場!?

冷凍讃岐うどんで作った釜玉うどん。

卵は全卵投入!

 

九州の甘い出汁醤油で食べるとうまい!

 

 

 

晩ごはんはおうち焼肉。

スーパーが4日にようやく開いたので買い物に行ったが、まだまだ品揃えが悪くて結局焼肉にした。

 

 

 

しかし一人では半分ほどしか食べれない。

老化は食も細くする。

 

 

ぜんぜん痩せないけど^^;

 

 

 

正月からカニやらお肉やらたくさん食べすぎた。

プリン体を大盛りで食べている感じだ。

 

気をつけなければ!

 

恋と痛風はだいたい突然やってくるからな。

 

 

昨日もたくさんの方に応援ポチいただきました!ありがとうございました!

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コメント

  1. 私の大叔母も「死んだら何も無い。無になるのよ。」と言います。
    だけど亡くなった大叔父の仏壇に毎日手を合わせているんですよ。
    魂の存在を信じていないのに、なぜ亡くなった人に話しかけるのかな?
    私は死んだら先に行ったみんなと会えるって信じていたいです。
    無になるならなったで、どうせがっかりすることもないですしね。^^

    • Kayさん

      コメントありがとうございます!

      叔母さんの気持ちもわかりますね。
      私も同じように毎朝嫁とらんまるに語りかけています。
      きっと心にいる存在に語りかけていらっしゃるのではないでしょうか。

      まあ死んでみないとわかりませんが、会えたら嬉しいし無になったら何もわからない。。。
      やっぱり生きていることが大事なんでしょう。

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