自分が押すか他人が押すか
リセットボタンという言葉を聞いてまっさきに思い出すのは、TVゲームという方も多いだろう。
強制終了するボタンのことをリセットボタンと言う。
強制終了する際には必ずゲームをセーブしておかないと、せっかくゲームが進んでレベルアップしていても、また以前スタートしたところから始めなければならない。
迂闊にこのリセットボタンに触ってしまうととんでもないことになってしまうのだ。
セーブを忘れて泣いた人は世界のコロナの患者数よりも多い。
ベストセラー作家の本田健さんと言う方があるインタビューに応えておられた。
現在のコロナ禍によって人生をリセットせざる終えなくなった方達へのメッセージだ。
たいへん参考になったので私もしばし考えてみた。
人生のリセットボタンについて。
人生においてリセットボタンを押すタイミングとはどんな時だろうか。
このリセットボタンには、自分自身で押す場合と自分の意思に関係なく他人が押す場合があるように思う。
私の場合は、まず最初のリセットボタンは両親によって押された。
両親の離婚である。
次は父の自殺によってまたリセットボタンは押されたが私自身は記憶にない。
その後、大学を出て就職するまでにリセットボタンが押されたことはない。
自我が確率していない幼少期に他人によってリセットボタンが何度も押されると、少なからず性格に影響が出るように思う。
幼少期の自分を思い出してみて、リセットによって自分の生活が一変したであろうことはその後の環境をみればわかる。
両親が二人とも相次いでいなくなったことは幼心にも辛い経験だった。
人生のリセットボタンを自分で押すというタイミングは、ある程度人生を積み上げないとそのタイミングは来ないのだろう。
私自身で言うと、やはり転職によってリセットボタンを自ら押したことが初めての経験かと思う。
住居も変え、仕事も変え、友人もみな変わった。
役職も給与も上がり責任も重くなる。
あのとき押したリセットボタンが今の環境も作っている。
それほど重要な判断だった。
その後、転職のたびにキャリアアップしていったが、最初の転職のときのようにはリセットはされておらず、いずれもセーブの続きからスタートしている感じだ。
次に私のリセットボタンを押したのは私の嫁だった。
嫁はリセットボタンを押したと同時にいなくなってしまった。
このリセットはこれまでもこれからも、おそらく経験することのないほどの衝撃だった。
そして私は人生というゲームの場外まで投げ出され、また元の道を歩くようになるまでにかなりの時間を要した。
そしてもっとも最近になって、また他人によってリセットボタンが押されることになる。
それがコロナである。
強制的に外出ができなくなる。
強制的に仕事がなくなっていく。
強制的にマスクをつけさせられ。
強制的に手を洗わされる。
しかも世界中同時にだ。
ただ、先程の本田健さん曰く、たいていのリセットは必ず好機の予兆だと言っておられる。
私自身を振り返ってみても、なるほどそうかもということが多い。
嫁の死は好機の予兆とはなかなか思いずらいが、しかしこの経験によって私は人生の意味を知ることになった。
それは『生きるための答え』を知るという、自分の人生においてもっとも重大な体験だった。
他にも転職というリセットによって、仕事での自分自身のアイデンティティは確立できた。
今回のコロナ禍という強制的なリセットも仕事はなくなってしまったが、コロナがなければブログを始めようとは思いもしなかっただろう。
コロナにより外食もやめ自炊するようになったし料理のレパートリーも増えた。
ブログに料理をアップすればみなさんからコメントもいただける。
広告収入も少ないが安定してはいってくる。
強制的に環境が変わるということは私自身に置き換えても決してマイナスにはなってない。
たしかに世の中には仕事がなくなり住む家まで失った方もいると聞く。
しかし諦めないでほしい。
世界的なリセットは、世界中の制度も変化し、あらたな価値観やビジネスまでが変化する。
なので自身では望まなかったリセットも、なんとか知恵を絞ってプラスの生き方に変えられるように頑張ってもらいたい。
老後のライフスタイル
ゆいまるが気持ちよさそうに寝ている。
ゆいまるは自分ではリセットボタンは押せない。
自分で生き方を変えることなどできないのだ。
そう考えると強制的に親兄弟から引き離され、ペットショップで売られ、自分では選べもしない飼い主のところで飼われるという運命。
ペットとはいったいなんだろう。
ゆいまるがこの世に生まれてよかったと思ってくれたら嬉しい。
最後に・・・
リセットはチャンスのように書いたが、リセットしてもうまく行かないこともあるだろう。
しかしだいたいにおいて、うまく行かないことはやめておいた方がいいということが多い。
私の経験ではうまくいくことはなぜかうまくことがはこぶものだ。
それを流れに逆らって無理やりやろうとしても、それが目的までたどりつく可能性は低い。
思わず自分の予想とは違う道を進んだとしても、結局は自分が目指したゴールに向かっているわけで、どの道を進んだかということだけなのだ。
人生の目標が『幸せな人生を送ること』であれば、どの道を歩いても目指したゴールに到達する。
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