年収100万!豊かに暮らす人と貧困に喘ぐ人
Amazonで同じようなタイトルなのに、内容がまったく違う本を見つけた。
1冊は、山崎寿人さんの『年収100万円の豊かな節約生活』
もう1冊は吉川ばんびさんの『年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-』
どちらの本も読んでないので、ネット上の著者へのインタビューや本のレビューの情報だけだが、内容はだいたいわかった。
山崎さんの著書は、年収が100万円でも健康で文化的な生活ができるという、そのライフスタイルを紹介する本。
山崎さん自身は東大卒業後、超有名企業に就職するも5年で退職。
以来20年間定職に就かず、貧乏でも極楽生活を実践しているという方である。
ミニマリストなどと言っているその辺の女子とは訳が違う。
一方の吉川さんの著書は、自身がライターを務める週刊SPAの特集をまとめたもので、年収100万円生活を続ける16人を取材したルポである。
この本の内容は、貧困に喘ぐ人たちの実態が描かれているものだが、トランクルームに寝泊まりしている人や、亡くなった母親を埋葬する経済的余裕もないまま車中泊を続ける人などの様子が紹介されている。
最近私はめっきり本を読まなくなった。
老眼がすすんでからは小さな文字を読むのが苦痛になって、それからあまり読まなくなったのだ。
しかし、この対照的な2冊の本は読んでみたいと思った。
なぜなら同じ100万円という貨幣価値なのにかたや極楽生活を20年も続け、かたや貧困に喘ぎ幸福などという言葉とは無縁の生活を強いられているという両者。
面白いと言うと不謹慎だと叱られそうだが、でも面白い!
少ない年金に不満を言う人もいれば、同じ年金でも幸せな老後生活を楽しんでいる方もいる。
どちらもよく似ている。
金額の多寡でいうと同じ額面なのに、何が違うとこれほど真逆の人生になるんだろうか。
考え方なのか?
節約術なのか?
それともよくある精神論?
貧乏で辛いと思う人と清貧で幸せだと思う人。
きっとその真ん中には誰もいないんだろうな。
500円で泣くホームレス
2〜3年前の話だが、強烈に記憶に残る出来事があった。
ある取引先の女性と新宿駅西口で待ち合わせをしているときのこと。
少し遅れて待ち合わせ場所に着いたら、取引先の女性がいかにもホームレスという風貌の男にからまれていたのだ。
からまれていただわけではないのかもしれないが、女性の怯えようがそう私に見せたのだろう。
すぐにホームレスと女性のあいだにはいって、何をやっているのか問いただしたところ、その女性が言うにはホームレスの男性が500円くれと言っているとのことだった。
要するにホームレスの男性は女性にからんでいるわけではなく、500円を物乞いしていたのだ。
私はそのホームレスに女性が怖がるようなことをしないように言い、なぜ500円が必要なのか聞いた。
するとそのホームレスはすいませんと頭を下げながら、私にこう言った。
『500円あれば3日生活できるんです』と・・・
冒頭の山崎さんの1日の食費は500円だそうだ。
普通に考えれば1日の食費を500円でまかなうのはなかなか難しいと思う。
しかしホームレスの男性は、同じ500円で3日生きると言う。
私はホームレスの男性に財布から500円を渡した。
するとホームレスの男性は顔をしわくちゃにして泣いた。
よほどひもじい思いをしていたのだろう。
そしてありがとうございますと丁寧に頭を下げ、ホームレスの男性は去って行った。
1日500円の食費は、まだ節約を楽しむことができる範囲なのかもしれない。
しかし500円で3日を生き抜くには、もはや生死のギリギリのラインかと思う。
あのホームレスの男性の命は、3日間しか補償されていない。
お金の価値が人によってこれほど違うとは想像もしない。
もしあのホームレスが年収100万円だったらどうだろう。
ひょっとするとホームレスから立ち直って社会に復帰する資金となるかもしれない。
100万円の収入で貧乏と嘆くか、100万円で節約生活を楽しむか、はたまた100万円で社会復帰を果たすか・・・
どれも同じ人間が使うお金だ。
最後に・・・
社会の枠から一度はみ出してしまうと、なかなか元に戻るのは難しいと聞く。
ホームレスじゃなくてもトランクルームで寝泊まりしている人や、車上生活をしている人も冬だからと言って暖かいお鍋など食べれないだろう。
私たちの日常が日常ではない人たちが、同じ日本にたくさんいる。
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