人生最後の節目
この世に生まれて初めてビールがうまいと思った時、人生もまたビールのように苦いものだということを知った。
あれからはや40年以上・・・
人生の節目と言われる年齢を何度か経験して60才を迎える年。
なんだか20才を迎えるような気持ちだったことを覚えている。
おそらく70才も80才も同じような気持ちになるのかもしれない。
しかし60才という年齢はちょっと特別だった。
やけに年老いた気分になったし、確実に命のカウントダウンが始まったと思った。
若い頃には夢もあった。
しかし夢は叶わないから夢だと知った時には、もうずいぶん年をとっていた。
それでも幸せな結婚生活を送りすばらしい家族ができたことは、私にとっては世紀の偉業だ。
50才代はまだ仕事も現役でやっていて、社会との関わりも深く老いの感覚もまだ薄かった。
定年は延長されているとは言え、基本的には再就職や嘱託という形となり今まで同様の役職や収入が約束されるわけではない。
今まで部下だった社員に今度は自分が部下として仕えなければならないという、1日で立場がオセロゲームのように変わるのだ。
正直やってられるか!
だから私は仕事を辞めた。
60才の節目に老後の入り口に立ち、職を失い、家族もいなくなり、これからの人生にひとり思いを巡らせた。
まだ私が幼い頃、お気に入りの漫画本を持って家出を決意した時と同じような気持ち・・・
ちょっとした覚悟だ。
『まあ、なんとかなるやろ!』
覚悟と言えば仰々しいが、結局その程度のものだ。
しかし意外になんとかなっているから人生は面白い。
もう愛だの夢だの語る年ではなくなり、慎ましい毎日を彩るのは酒と美味しい料理だけ。
食べて飲んで寝れればそれで十分幸せだから、幸せもだいぶ安上がりになったものだ。
ヘリウムガスが抜けるように若い頃の夢は萎み、いつの日か『未来』という言葉を使わなくなった。
60才になるということはそういうことだ。
嫌だったのは60才になったからと言って、急に老人クラブみたいなところに勧誘されることだった。
朝から年寄りたちと一緒にラジオ体操させられたり、公民館のカラオケ大会に参加させられたり・・・
そういうことが半ば強制的なんじゃないかと思っていた。
なんか急に平均的な老人をやらなきゃいけないような気がしてたから、それが一番嫌だった。
でも60才になっても何も変わらない。
老人クラブの勧誘もなければゲートボールのお誘いもない。
60才はただの通過点だった。
そういや日本の老人にもう老後はないのだ。
死ぬまで働かないと生活がままならない人が大勢いる。
いつから日本はこんな貧乏な国になったのだろうか。
体が元気なら働くのもいい。
生涯現役という方が増えるだろうから、ますます60才という節目もなくなるのだろう。
ついでに敬老の日もやめたらどうだ。
その日1日だけ敬われることに何の意味があるのだろうか。
老後がなくなった今、年寄り扱いされるのはまっぴらごめんである。
安倍元総理が1億総活躍と言い出してから、若者も年寄りもみな納税者として働かなければならない。
日本も海外のように年齢別のライフスタイルは消滅し、自分の都合にあわせて生きたいように生きるようになるのだろう。
60才をこれから迎えようという方にお伝えしたい。
60才になったからと言って何も変わらない。
ただシワが増え髪が薄くなり体のあちこちが痛いだけだ。
見た目だけはどうしようもない。
老いの劣化は精神よりも肉体に著しい変化をもたらす。
精神が老いると老害と呼ばれ周りに迷惑をかける。
どこかの国の元総理大臣みたいに。
肉体が朽ち果てる方がまだいいな。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はトースト、サラダ、はっさく、コーヒー。
はっさくが皮を剥いて売ってあった。
どうやったらこんなにきれいに皮が剥けるのか・・・
パンは超熟。
安定のうまさ。
ランチは前日仕込んでおいたスパイシーチキンカリー。
60才代になって完成したものと言えば、このチキンカリーくらいかもしれない。
晩ごはんは春キャベツとシーフードの卵とじ、鳥モツ煮、切り昆布と揚げの煮物。
鳥モツは本当は花山椒で煮込みたかったのだが、スーパーに売ってなかった。
なのでしょうがとにんにくでモツ煮にした。
手間はかかるがうまいね!
春キャベツとシーフードの卵とじはこの時期だけの料理だ。
実にうまい!
しかし春キャベツも鬼のように洗わないと、虫はいるし泥だらけだし、なんでこんなに汚いのだろうって思うくらいに汚い。
料理はほんと手間がかかる。
その分心が幸せになる。
命のカウントダウンの音がする。
カチカチカチカチ・・・・
しかし幸せを刻む音でもある。
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