自由
また新しい年を迎えた。
今年はおせちは食べないと決めて、朝から冷蔵庫にあった茹でたブロッコリーと一番安かったかまぼこ、そしてカニカマでお屠蘇代わりのビールを飲んだ。
元日から快晴で気持ちがよかった。
狭いベランダで、抜けるような青空を眺めながら元日の朝に飲むビールは格別だ。
昨年の元日は近所のお店に予約しておいた、フレンチのおせちをいただいた。
その前の年は自分でおせちっぽい料理を作って食べた。
これまで正月におせち、あるいは正月らしいものを食べない年はなかった。
しかし今年はまさかのブロッコリーとかまぼことカニカマだけ。
かろうじてかまぼこは正月っぽくもあるが、ただ切って皿に盛っただけの愛想のないものだ。
おせちじゃなくても、もう少し正月らしいものにしたらどうだ?
確かにそうも思った。
でも年末にスーパーに買い物に行き、ズラリと並んだ正月料理の材料を見て、正直自分が好きなものなど一つもないと気づいたのだ。
煮豆に佃煮に大根なます、栗きんとんや昆布巻きなど、まあ出されれば食べはするが自分でお金を出して買うほど好きなものじゃない。
冷凍のカニも大して美味いものじゃないし、マグロなんて年中売っている。
これまで習慣のように食べていたおせち料理。
だからもう今年はやめた。
まあ年金だけ生活になって金がないというのも事実!
だから高価なものは買えないのである。
どこからやってきたのか、見たこともない高級かまぼこにお蕎麦。
マグロに松阪牛なんて1ヶ月分の食費をはたかないと買えない金額だった。
だから年越し蕎麦も食べなかった。
きっと天国の嫁は・・・
『あなた、何してんのよ〜!』
と驚いているだろう。
単なるおせちを食べないという話だが、年老いて自由に生きているつもりでもまだまだ何かにとらわれて生きているんだな〜と気づく。
元日に煮豆じゃなくても超熟とコーヒーでもいいじゃないか。
いつもの肉野菜炒めでもいい。
食べたいものを自由に食べよう。
そうやって明けた新年だった。
そしてまた1年が始まる。
あと何回繰り返されるのかわからない。
残された時間も短い。
しかし死ぬまで自由を追求していたいものだ。
後悔
この時期になると死んだ嫁が河津桜を見に行きたいと言い出す頃だ。
いつの頃だっただろうか。
嫁を連れて初めて河津桜を見に行ったのは・・・
近くの温泉宿に泊まって、今日みたいによく晴れた朝に河津桜が咲き並ぶ川のほとりを散歩したあの日。
君は寒いねと言いながら冷えたビールを飲んでいた。
空気は凍えるほど冷たかったが、でも日差しのあるところはそこだけが一足早い春のようにポカポカと暖かかった。
いろんな出店が並ぶ田舎道を、君は子供のようにはしゃいで歩いていたね。
あんなに毎年のように河津桜が見たいって君が言ってたのに、なぜ連れて行ってあげなかったのだろう。
それが心残りで仕方がない。
君にはたくさんのことをしてもらったというのに・・・
君のおかげで私は家族というものを知ることができた。
君のおかげで人を愛するということを教えてもらった。
小さな命を大切にし、困っている友人を救い、いつも弱い者に味方をして生きていた君。
人はどう生きるべきかを身をもって教えてくれた人だった。
ほこり被ったたくさんの古い記憶が、今も人の道はこう歩けと指し示してくれている。
河津桜が咲く頃になるといつも君の言葉が蘇る。
河津桜が見たいという君の言葉。
なぜ最後に叶えてあげなかったのだろうか。
あれからもうすぐ7年。
私は今年はおせちも食べずに自由に生きている。
君は7年前に私の前から突然消えた。
私にほんの少しの自由と
震え上がるような寂しさを残して・・・
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