死に際の最後の呼吸

嫁のこと
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最後の一息

 

今日も天気がいい。

ベランダに立ち朝の冷んやりとした空気を吸う。

PM2.5やら黄砂やら入り混じった東京の空気でもそれなりにうまい!

 

するとマンションの隣の部屋の若い女性とベランダ越しに目が合う。

いつものことだがお互い作り笑いしながら軽く会釈をする。

ちょっと気まずい。。。

 

彼女はいつもベランダでタバコを吸っている。

彼女がベランダでタバコを吸う理由は部屋で猫を飼っているからだ。

猫にタバコの煙を吸わせたくないのだろう。

 

いい心がけだ。

しかし今私はベランダで深呼吸をしている。

 

こっちは人なんだけど・・・

せっかくの朝の大気を汚すんじゃねえよ。

 

普段は意識して呼吸することなどないが、朝の深呼吸だけは別だ。

深呼吸をしていると嫁とらんまるの最後の一息を思い出す。

 

嫁もらんまるも最後の呼吸は、この世界との別れを決意するような深い息だった。

何かの本のレビューに書いてあったが、この現実世界と死後の世界の境目に別の世界があるという物語。

 

本を読んでいないので詳しくはわからないが、もしかしてあの最後の一息がまさにその生死の境目に魂が移る合図だったのかもしれない。

生死の境目の瞬間、嫁の魂はあの地下の病室から抜け出し、空中を浮遊しながら骸となった自分の体を眺めていたとしたら・・・

あの時ただ泣いてないでその浮遊する嫁の魂に向かって何か叫べばよかった。

 

たくさんの管に繋がれた体はもう空っぽだったんだ。

私はその空っぽの体にすがって泣いていた。

 

嫁は痛みから解放され魂となって天に昇りながら、そんな私を見て笑っていたに違いない。

 

『私はもうそんなところにはいないわよ』

 

不思議と人は形のある肉体にばかり執着する。

通夜の席でもたくさんの友人たちが嫁の死に顔を見ては手を合わせ泣きじゃくった。

 

そして火葬されるまでみんな嫁の亡骸について回った。

しかし嫁はもうそんなところにはいなかったのだ。

 

生死の境目の世界が本当にあるのなら・・・

そこで嫁は泣いているみんなを見ていたのかもしれない。

みんなにさようならと手を振っていたのかもしれない。

もしかすると今も魂はここにあるのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、今日も祭壇の水を替え冷えたビールを嫁の写真の前に置く。

そしていつものように手を合わせて『長い間一緒に歩いてくれてありがとう』と感謝の言葉を伝える。

 

嫁が死んでからもう5年。

 

今頃になって私は、嫁とらんまるがどんな思いで最後の一息をついたのか、このベランダに立って思いを巡らす。

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食はクロックムッシュ

 

 

クロックムッシュはもともとハムとチーズを挟んだパンをバターで焼いて食べるもの。

それにベシャメルソースを塗ったりといろんなパターンができたらしい。

 

これはバターを塗ったトーストにハムをのせて、ベシャメルソースとチェダーチーズでグリルした。

 

めちゃうま!

外人さんってなんでも高カロリーにして食べるのがお上手。

 

ランチは豚骨ラーメン

 

 

今日はアジアンスタイルではなく普通にラーメンとして食べた。

どうやって食べても美味しいね。

 

 

晩ごはんは落合シェフの賄いレシピで豚バラ肉の生姜焼き。

大量のキャベツの千切りは生姜焼きの汁にまぶしていただく。

これが美味いんだよね〜!

 

 

キャベツ以外にもポテトサラダにイタリアンサラダと豚バラ肉の倍の量の野菜を食べる。

絶対に白ごはんにあう味だから、生姜焼きは半分残して後日白ごはんで食べることにした。

 

生姜焼き用の豚肉よりやっぱ豚バラ肉の方がうまいな。

 

 

今朝も爽やかな朝だった。

青空が目に痛いくらいに輝いている。

 

そして今日も深呼吸を一息・・・

隣のお姉ちゃんはまだ起きてないようだ。

よかった。

 

今日はタバコの煙の代わりにパン屋さんがパンを焼く匂いが鼻腔を直撃する。

この世にある匂いの中で、パンを焼く匂いが一番いい匂いのような気がする。

 

私の最後の一息はこのパンを焼く匂いを嗅いでいたい。

 

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