老後のおひとりさま〜人はみないつかはひとりになる

嫁のこと
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自由は寂しい

 

4年前の突然の嫁の死から、私は1人になった。

見苦しいほど泣いてうなだれて、もぬけの殻のような日々を過ごした。

 

悲しみの渦の中から這い出せず同じところをグルグル回るだけ回って、ようやくたどり着いたところはまた悲しみの崖っぷち。

つくづく男は、嫁に先立たれると情けないと思った。

 

男は弱いな〜。

 

そんな時にやはり私同様にご主人を亡くされ、女手一つで子供2人を育てておられる女性と出会った。

その方からこんなことを言われた。

 

『いつまでも泣いてるのは自分だけで、奥様は病気の苦しみから開放されてあの世でニコニコ笑ってますよ。』

 

そうなのだ。

自分で自分を悲しみのどん底に突き落として、這い上がれずにもがいているだけ。

 

毎日をただ泣いて過ごすのは、せっかく自分は生きているのに無駄な日々を過ごすことになる。

嫁は生きたくても生きることができなかった。

 

だったら前を向こう!

前を向いて一歩足を踏み出そう!

 

本当にその女性の言葉に救われた思いだった。

あれからおひとりさまもだいぶ慣れた。

 

1人で映画も見に行けるようになった。

1人でスーパーで買い物をして1人で料理をして1人で食べる。

1人でテレビを見て笑って。

1人で寝る。

 

その日にあった面白い話は嫁ではなく犬に話す。

宅急便のお兄さんとはもう友達だ。

 

隣のインド料理屋のネパール人は、私がお店にくると必ずサラダをサービスで出してくれる。

全然、寂しくないじゃないか。

 

私の周りにはたくさんの人がいる。

 

昼間からビールを飲んで床で寝てても誰からも怒られない。

何時に寝て何時に起きようが勝手。

 

自由だな〜。

 

自由すぎて、

 

自由すぎて、

 

また涙が出てくる。

 

 

ポエムか!!

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おひとりさまを楽しむ

 

人間は、何かを手に入れると何かを失う。

私は嫁を失ったが、そのおかげで人生の意味を知った。

 

人はなぜ生きるのか・・・

人間の永遠のテーマだが、私はそれがわかってしまった。

しかし、それは嫁を失うことでしかわからなかったと思う。

 

毎朝、嫁の遺影に手を合わせる時に、生前に伝えられなかった感謝の気持ちを声に出していうことにしている。

その行為だけが嫁の供養のような気がして、私はできるだけ長生きしてできるだけたくさんの感謝の言葉を声にして伝えたい。

 

しかしその瞬間は、過去のいろんなことが思い出されてとても楽しい時間となっている。

今のひとり暮らしも自分なりにできるだけ楽しむ。

 

そしてそれをいつか嫁に伝えたい。

私が死んで嫁と再会した時に『1人でもこんなに楽しいことをやったよ〜』と話をするのだ。

 

きっと嫁はそれをニコニコ笑いながら聞くことだろう。

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  1. […] ロシアもウクライナも同じボルシチを食べているんだろう。 […]

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