高齢者が社会の役に立つ | 地方経済を復活させるのは我々老人だ!

ゆいまる
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所得の再分配

なんだか難しく聞こえる言葉だがこれを簡単にいうと、我々がもらっている年金は税金や保険料という名目で所得から徴収され、社会保障制度という名で再分配されているということだ。

社会保障だから年金だけに限らず医療や介護もこれに当てはまる。

 

年金を受給している高齢者は、みなこの徴収された財源の再分配により生活ができ、医療や介護のサービスが受けられている。

この再分配は広い田んぼに流れる水のように、満遍なくどの田んぼにも行き渡るように流れていく。

 

やがて田んぼに行き渡った水は稲を実らせ、秋になると稲穂を揺らして米という収穫物を市場に還元する。

この田んぼにあたるのが私たち高齢者なのだ。

 

私たち高齢者は社会保障という資源を持ち、消費を支え介護という労働力を生み出すことが可能なのである。

そう考えると私たち高齢者はただの老ぼれではなく、経済を活性化させることができる素晴らしい宝物として社会に貢献できる存在なのだ。

 

人口の多い東京には若者もたくさん集まるが、高齢者だってたくさん住んでいる。

私が住んでいる世田谷区も65歳以上の高齢者の高齢化率は21.6%。

5人に1人は高齢者ということになる。

なんとお宝の山ではないか!

 

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若者を集めるよりも年寄りを集めろ!

地方創生や地域活性化などと言われてから久しいが、それが成功したという話はあまり聞かない。

耕作放棄地が増え後継者もいなくなった農業に、新規就農者の若者を集めるため農業体験のイベントが盛んに行われてきた。

しかし物珍しい農業体験にはたくさんの若者が参加するが、実際に都会から移住して助成金をもらい、新規就農者となる若者はほとんどいない。

仮に新規就農者としてスタートしたとしても、農家として成功するのは至難の技である。

 

なぜなら各地の農業委員会はそんなに甘くはない。

耕作放棄される田畑は、プロでも農業が難しい田畑から順に放棄されていくのだ。

素人がそんな簡単に作物を作れる土地ではないのである。

私などベランダのミニトマトが、豊作になった経験すら一度もない。

 

単に人口を増やして過疎化に備えるというだけなら誰が移住して来ようが構わないだろうが、社会保障制度というお宝を抱えた高齢者が移住したとしよう。

たとえばすでに年金受給者である私だ。

世田谷から地方に移住したとすると、そこで私は家賃を払い、電気代を払い、ガス代や水道代というインフラにお金を使いはじめる

ブログを書くためにWiFiを契約し、ゆいまるのご飯をホームセンターに買いに行く。

ビールは地元の酒屋に配達してもらい、日々の食材を買いに毎日スーパーへ買い物に行くのだ。

 

どうだ。

私一人が移住しただけでもこれだけの消費が生まれる。

さらに私がもう少し高齢になると介護も必要になるだろう。

そうすると介護職の人材の雇用が生まれ、介護のための施設の建設も始まるかもしれない。

 

私はネットを通じて高齢者に呼びかける。

『みんな私がいる地方へ移住して来ませんか〜!』と。

そのうちブログの読者の方々が、こぞって移住してくるかもわからない。

 

こうやってどんどん地方は活性化していき、地方創生を成功させた地域として全国に紹介されることになるのだ。

もはや私は地元の有名人である。

各地からプロジェクトの依頼がどんどん増え、私のまわりには優秀なスタッフまで揃っている。

こうなるとひとつのビジネスが出来上がり、雇用も生まれ今度は本当に若者が集まってくるかもしれない。

 

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今日のゆいまる

いつもの散歩道が、1日でこんなに落ち葉だらけに!

景色は秋なのに気温は夏のままだ。

 

大量に落ちている葉っぱが何かわからないゆいまるくん

老犬のくせに子犬の顔だ。

 

 

近所のお寺も急に秋の景色・・・

 

 

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老後のおひとりさまごはん

昨日は朝からモーニングカレー。

我ながら感心する食欲だ。

今回は玉ねぎを少なくしてシャバシャバのカレーにしてみた。

写真ではスパイシーさが伝わらないのが残念だが、みなさんが想像するよりかなりスパイシーなカレーである。

 

ランチは醤油ラーメン。

カレーにラーメン。

自分が好きなものを好きなときに食べる。

これも老後だ。

 

そして夜は三茶に飲みに行った。

飲みに行きたくなったら飲みに行く。

老後は自由だな〜。

 

 

付き出しははもずく酢。

注文したのはウニとぼたん海老。

女性の店員さんが、ぼたん海老の頭はあとで唐揚げにしてお持ちしますと言う。

いいサービスだ。

 

 

穴子の白焼きと芋焼酎。

穴子の旬は夏だが、実は冬の穴子の方が脂がのってうまい!

肉厚の穴子に梅とわさびをつけきゅうりを巻いて食べる。

これは酒がすすむ。

 

 

ぼたん海老の唐揚げを先程の女性の店員さんが持ってきてくれた。

しかし、このぼたん海老の頭は私が食べたものとは違うのだ。

理由はあとで話そう。

 

 

昨日のブログでボジョレーヌーボーの解禁日のことを書いたが、今年は葡萄の出来が最高らしいのでいつものバーに行って1杯だけいただいてきた。

たしかにうまい!

新酒なのにほどよくタンニンの味がしていいワインだと思った。

 

先ほどのボタン海老の頭の話だが、実はボタンエビの頭は厨房のスタッフがあやまって捨ててしまっていたのだ。

女性の店員さんは『本当に申し訳ございません』と言いながら、私に深々と頭を下げた。

別におまけで唐揚げにしてくれるわけだから私はどうでもよかったのだが、それからしばらくして頭を捨ててしまった厨房のスタッフが、どういうわけかぼたん海老の頭の唐揚げを持ってきてくれたのだ。

 

実は、私のために別のぼたん海老の頭を切って唐揚げにして持ってきてくれたのだった。

ぼたん海老はメニューの中でもお高い方だ。

頭を切ってしまってはお刺身としてはもう出せない。

しかしこのお店は、お客様へのサービスを最優先と考えているのだろう。

おまけなのにここまでやってくれるとは・・・

 

きっとこのお店はコロナでも潰れることはないと思った。

コロナで閉店に追い込まれたお店は不幸ではあるが、そもそも経営が厳しかったのではないかと私は思う。

なぜなら、もしこの居酒屋がコロナで閉店するといえば、常連客たちは必ず助けると思う。

私だってそうするだろう。

このお店が潰れてしまってはみんなが困るのだ。

 

素敵なお店は街の宝物である。

年金でお酒を飲んでる老人もまた宝物だ。

 

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