人生をやり直すなら・・・
昨日、Amazon Primeで見た韓国映画が『あなた、そこにいてくれますか』という題名の映画だった。
もちろんハングルでの題名はちんぷんかんぷんだが、この邦題では全く内容が伝わってこないと思った。
簡単に言うとタイムスリップして恋人の命を救うという映画なのだが、もうちょっと邦題をひねってほしい。
あまり書くとネタバレになってしまうので、ストーリーについてはこれ以上書くのは差し控えるが、映画を見ながら思ったことがある。
自分がもしタイムスリップして過去に戻れたなら過去を変えたいだろうか?
もう一度人生をやり直す?
みなさんがもしタイムスリップできるとしたらどう思われるだろうか。
おそらく何かしらやり直したいことのひとつやふたつは誰でもあるのではと思う。
私もある。
人生をやり直すというほどでもないが・・・
ひとつは過去に戻って、私を育ててくれた祖父と祖母にお礼を言いたい。
何一つ恩返しもできずに亡くなってしまったから、それが今でもたいへん心残りである。
高校を卒業して京都の大学に行った私はその年の夏休みに田舎の天草に帰り、島で一番大きなホテルでアルバイトをしていた。
海に突き出た半島の鋒にあるホテルだったので、ロケーションが素晴らしくその一番見晴らしがいい場所にビアガーデンがあった。
そのビアガーデンは夏の間だけオープンしていて、ドイツビールとフランクフルトが推しのメニューで人気だった!
そこで私は一夏だけのアルバイトをしていたのだ。
そのビアガーデンでは、なぜか昔ながらの剣劇のようなお芝居をやっていた。
とてもドイツビールとフランクフルトには似合わないお芝居だ。
なぜドイツの民族音楽とかやらないのか不思議だったが、所詮天草という田舎である。
きっと『国定忠治』の方がうけるとでも思ったのだろう。
しかしその国定忠治の剣劇は祖父と祖母が喜びそうなお芝居だったので、アルバイトの最終日に祖父と祖母をビアガーデンに招待し剣劇を見せてあげた。
案の定、二人はとても喜んでくれた。
しかも、なぜ国定忠治にドイツビールなのか?という至極当然な質問までしてくれた。
祖父でもそう思うのだから、これをもしドイツ人が見たらひっくりかえるだろうと思った。
しかし天草の海に沈む夕日を見ながらビールを飲み、そして違和感はありながらも楽しいお芝居を観劇するのは、田舎ではとても贅沢に思えた。
ビアガーデンからの帰りしな、いつの間にか私よりもずいぶんと小さくなってしまった祖父と祖母は、私に腰が折れるほどお辞儀をしてお礼を言ってくれた。
今日は本当に楽しかったと言ってくれたのに、私は思わぬ謝辞に照れてしまい何も言えなかった。
私こそなぜその時に『これまで育ててくれてありがとう』と言えなかったのか・・・
『もっと長生きしてください』と言えなかったのか・・・
後から本当に後悔した。
もし私がタイプスリップできるなら・・・
あの日に戻って祖父と祖母に、私が腰が折れるほどお辞儀をして感謝を伝えたい。
『本当にありがとうございました』と。
生前の嫁に伝えたいこと
私はもしタイムスリップできるなら・・・
その二つ目は、亡くなった嫁にどうしても伝えたいことがある。
いや、伝えるだけではダメだ。
人生をもう一度やり直すくらいの気持ちがないと、嫁の心は動かないはずだ。
嫁はお酒とタバコがよく似合う人だった。
私も若い頃はタバコを吸っていたが、健康を考えてずいぶん前にやめていた。
しかし嫁は私の健康には気を遣ってくれていたが、自分のこととなるとまったく無頓着とは言わないが、二の次という感じだった。
タバコも吸い続けていたので、私はタバコはやめた方がいいよと言ってはいたが、嫁には好きなように生きて欲しかったのであまり強く言うことはなかった。
しかし、今思えば心臓を悪くしたのは、やはりタバコも原因のひとつではと思っている。
だからもしタイムスリップできるものなら、せめて20年くらい前に戻って私と一緒にタバコをやめようと強く説得したい。
もっと二人で健康的な人生をやり直すのだ。
そして嫁にもう少し自分の健康にも気を使うように言いたい。
私の食事はたいへんバランスを考えて作ってくれるのに、自分は朝からコーヒーとタバコだけで済ませるというのが日課だったから。
20年くらい生活習慣を変えれば、もしかするともっと長生きできたのではと思う。
そのためには過去へ戻って嫁との人生をやり直すのだ。
もっと健康的に。
もっと長生きできるように。
映画を見ながら本当にそう思った。
でも人生をやり直すというのは無意味なことか・・・
映画はハッピーエンドで終わった。
でもふと思った。
どう生きてもどう人生をやり直すとしても、結局楽しかった二人の思い出は必ず残ると。
嫁がもしタバコをやめたとしても他の病気を患うかもしれない。
タバコをやめるストレスもあるだろう。
仮にそのように人生をやり直すとしても、いずれにしろ二人で楽しい人生を歩くことには違いない。
そして今と同じようにたくさんの思い出が残り、満ち足りた人生であったことに感謝するのだ。
どちらが先に死んだとしても・・・
どの道を生きてもいずれは二人とも死ぬ。
そのときに『楽しい人生だった』と言って死ねれば、人生をやり直すことなど無意味なことように思えた。
映画は物語のラストでハッピーエンドで終わる。
しかし人生のラストシーンは死ぬときだ。
そのときがハッピーエンドであれば何も悔いはない。
最後に・・・
もし過去に戻れるならできれば先々週くらいに戻りたい。
先々週ってほんのちょっと前じゃないかと思われるだろう。
実はスーパーの特売で買ったお味噌がまずくて、できるものならいつものお味噌に買い直したいのだ。
ちょっと安いからと言ってお金をケチったら、こんなに味が違うのかとびっくりした。
だから肉味噌もキーマカレーにリメイクされてしまった。
しかも特売の味噌がでかくてまだまだ当分あるから嫌になる。
過去に戻ってやり直したいことって、現実は映画みたいにカッコいいことばっかりじゃないのかも。
これは今年の正月の話だが、取引先の社長のLINEにタメ口で返してしまい、速攻で既読になって泡を吹いた。
社長からはご丁寧な新年のご挨拶メールをいただいたのに、変換候補の最初がこれになっていたのだ。
『あけおめ!ことよろ〜!』
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
ぺこりーのさん、こんにちは。
今日の記事を見て、私も、亡き祖父母に「かわいがってくれてありがとう」と伝えたいと思いました。高校、大学、社会人になってからも、コンプレックスに悩み落ち込んだ時、「子供のころ、祖父母はこんな私でもあんなに『かわいい、かわいい、いい子だいい子だ』と言ってくれていたではないか、私をあんなに褒めてくれる人もいたではないか」という事実がどれだけ支えになったか、もしまた会えるなら、感謝の気持ちを伝えたいと、祖父母をしみじみ思い出しました(涙)。
でも、逆(自分が今急死する)を考えると、ぺこりーのさんの祖父母も、奥様も、感謝の言葉はなくても満足していたというか、誰かのために尽くすということは、お礼の言葉を言われることより、尽くす事そのものが本人の幸せになっているのではないかとも思います。「誰かのために何かをすること」は「自分のため」でもあると思うのです。
だから「こんなにやってあげたいるのに、お礼の言葉一つもない、盆暮れに何も送ってこない」などと見返りを求めるものは、もう家族愛とかそういうものではないと思いますし。だいたいそういうものは分かりますよね。
家族についてしみじみ考えた朝でした。ほんとぺこりーのさんは話題豊富ですね☆
揚げパンさん
コメントありがとうございます!
祖父母との話は尽きることがないほどいろいろあります。
なぜ祖父母と住んでいるのか、なぜ自分には親兄弟がいないのか。
そんなことを気付かせないほど祖父母は私に愛情を注いでくれました。
揚げパンさんも優しいおじいちゃんとおばあちゃんに愛情たっぷりに育てられたんですね。
一番の応援団だったんでしょう。
なんでも失ってから気づくんですよね。
なぜ今気付かないのか・・・
しかし、だからこそいつまでも忘れられずに記憶の中にとどまり、心の中で生き続けていてくれるのかもしれません。
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