人生はまるでワンカットの映画のよう〜長い長いラブストーリーだ

クラフトビール
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生まれて、出会って、死ぬまでの物語

 

歳をとるとやたらと人生を振り返ってみたくなる。

きっと考える時間がたっぷりあるからだと思う。

思い出にふけっていると、もうすっかり忘れたと思っていたことが次々に浮かんでくるから不思議だ。

 

どれだけ出てくるの?

って感じ。

 

ポンプ式のシャンプーがボフボフいい出したから新しいシャンプーを買って用意してるのに、ポンプの蓋をとってボトルを逆さまにしてみるといつまでシャンプーが出てくる。

例えがわかりにくいがそういうイメージだ。

 

もっとわかりやすく簡潔に言うと、じじいの小便だな。

 

いつまでもダラダラと終わりを知らない。

 

長い時間生きてきたから思い出がありすぎて退屈を知る暇がない。

まるで人生は長い長いワンカットの映画のようだ。

 

私が生まれたのは練馬区。

父親が小説家を目指して東京にいたときに、ぼろぼろの狭いアパートで生まれたそうだ。

極貧で栄養状態が悪かったらしい。

 

父親は当然小説家では売れることもなく、私がまだ赤ん坊だったころに熊本県の田舎の『天草』という島に引っ越した。

そこで私は高校を卒業するまで暮らすことになる。

 

栄養状態が悪いその赤ん坊は、大人になってあんなに素敵な女性と出会うことなど当然知らない。

その女性もまた顔色の悪いそんな赤ん坊と出会うことなど知りもしないのだ。

 

高校生になって彼女ができてもなんかうまくいかない。

まあ高校生だからやることしか自分のことしか考えていなかったからな。

 

しかし京都の大学に通うようになってからも、ひとりの女性と長続きなどしたことがなかった。

 

社会に出てからも何度女性にビンタされて別れたかわからない。

親にもビンタされたことがないのに、なぜ女はそんなに私をビンタするのだ?

 

30歳になるころには女のビンタをうまくかわせるようになっていた。

修練の賜物だ。

 

しかしなぜこうも女性と長続きしなかったのか・・・

今思い返して考えてみると答えは簡単な話だった。

 

生まれた時から私は嫁と出会うことになっていたのだ。

物語がそのように書かれていたことを私は知るよしもない。

 

嫁もまた私と同様にどの男と付き合ってもうまくいかなかったのだろう。

そして嫁もまた、自分の物語は私と出会うことになっていたことを知らなかったのだ。

 

あのクリスマスパーティの夜こそが長い長いラブストーリーのプロローグだった。

今思えば私と嫁にクリスマスパーティのチケットを渡した人こそがキューピットだった。

 

私にクリスマスパーティのチケットを渡した人は、行きつけのスナックのカウンターで私の隣に座ったおばちゃんだった。

初めて会ったのに、なぜか私にクリスマスパーティのチケットをくれたのだ。

理由は自分が行けなくなったからと言ってたと思う。

 

私にチケットを渡すとチケット代もとらずにおばちゃんは帰って行った。

不思議な人だった。

 

あとからスナックのマスターにおばちゃんのことを尋ねたが、何も知らないと言っていたことを覚えている。

いやに老けたキューピットだった。

しかもキューピットなのに熊本弁を話す。

 

クリスマスパーティは12月24日、クリスマスイブの夜だった。

イブの夜にひとりでパーティにいるやつなんて寂しい独り者しかいない。

 

そして私が座ったテーブルの向かいの席にその寂しい女神は座っていた。

まるでディーバのようだった。

無信仰の私が神様にお礼を言ったのはあの夜が初めてかもしれない。

 

『神様!たいぎゃだんだんな〜!』

 

熊本弁じゃ素敵な話も台無しだ。

 

嫁と私はすぐに結婚した。

人生とはこんなに楽しいものかと実感したのもこのころだ。

 

娘が生まれ、家族が増え、笑いが絶えない日々が続いた。

犬を飼いさらに家族は増え家中が賑やかになった。

 

娘が着物を着てお参りに行った七五三。

バレエの発表会、ピアノの発表会、ミュージカルの舞台。

娘の成長とともに私と嫁は夫婦になっていった。

 

ずぶ濡れで踊った体育祭のダンス。

大学のダンスサークルの舞台。

私たち夫婦の幸せはすべて娘からもらったものだった。

 

今振り返ってもかけがえのない幸せな日々だった。

 

そして娘に彼氏ができ結婚も目前という頃に嫁は死んだ。

別れは突然だった。

 

私と嫁の物語はこういう結末だったのか?

知らないとは言えあまりに早すぎる。

 

幸せな日々は一瞬で暗転した。

舞台の奈落に私は落ちたようだった。

 

そして私は初めて神様を呪った。

 

『ぬしゃ〜!なんばすっとか!!』

 

やっぱり熊本弁じゃあダメだ。。。

 

しかし嫁が死んで5年。

まだ物語は終わってなかった。

 

ようやくそれに気づいたのが最近だ。

そして私は去年ブログを書こうと思った。

 

嫁と暮らした日々のことを忘れたくない。

脳が記憶できなくなってもこのブログを読めばきっと思い出せるから。

 

そしてワンカットのカメラがまだまだ回り続けるなら、ひとり暮らしも楽しかったことをブログに書き留めて、いつか嫁に話して聞かせよう。

 

ひとり暮らしもなかなかよかったよと・・・

 

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老後のライフスタイル

 

昨日は予約しておいた『天野喜孝』展に行ってきた。

デルタ株が蔓延するなかどうしようかと迷ったが、原画を見る機会はなかなかないので思い切った。

まあワクチンも2回接種してるのでそれを信じた。

 

 

久しぶりに新宿西口の高層ビル街に行ったが、思ったより人出は少ない気がした。

新宿アイランドビルだ。

 

随分前の話だが、このビルの地下にあるイタリアンのお店を貸切にして飲み会を開催したことがある。

もう10年くらい前だ。

 

地下に行ってみるとまだそのお店は健在だった。

懐かしいな〜。

 

 

このパネルは写真撮影OKとのことだった。

天野喜孝はRPGゲームの『ファイナルファンタジー』やSF小説『グイン・サーガ』のキャラクターデザインを手がけたクリエイターだ。

30年来のファンである。

 

展示されている絵はリトグラフがほとんどだが、すべて値段がついて販売されていた。

とても年金サバイバーに手が出せる金額ではなかったが、こうやって間近で原画が見れて嬉しかった。

 

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食は冷凍しておいたバンズを使ってベジバーガーを作った。

 

 

ボンレスハムにナスとズッキーニのソテー、チーズ、アーリーレッド、サルサソースなどが挟んである。

牛肉のパテのハンバーガーよりこっちの方がうまい!

 

 

ランチは昨日レシピを紹介した博多らーめん味の炊き込みご飯をチャーハンに。

 

 

チャーハンでもいける!

てか、チャーハンにした方がうまいかも。

 

 

天野喜孝展の帰りに買ってきたネストビール。

久しぶりに飲んだがやはりうまい!

日本のクラフトビールの先駆けとなったビールである。

 

世界でもっとも売れているメイド・イン・ジャパンのクラフトビールだ。

 

晩ごはんもクラフトビールと一緒に買ってきたもの。

プルコギ、ポテトサラダ、トマト、ベビーリーフ。

 

味付けしてあった牛肉に野菜を足して炒めただけだが美味しかった!

デパ地下いいね。

しかしもうデパ地下も営業自粛となるんだろうな。

 

天野喜孝展に初めて行ったのは福岡だった。

30年ほど前だが嫁と一緒に行って感動したことを覚えている。

あの時も原画は買えずレゾネだけ買って帰った。

 

嫁もまた大好きなクリエイターだった。

 

あれから随分時間が経った。

嫁ももうこの世にいない。

 

今日のブログはちょっとキザになったが、嫁が死んでしまったから書けたブログである。

これがもし今でも嫁が生きていたなら・・・

 

『愛してる』の一言すら言えずにいるはずだ。

 

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