不自由な若さ
若い頃から自由気ままに生きてこれた人なんてまずいないだろう。
自由に生きるためには時間が必要だ。
しかし生きるためには仕事をしなければならないし、金を稼がなければならない。
何かしらの経済活動を行わないと飯が食えなくなる。
すると人生の大半は仕事という半ば強制的な経済活動によって奪われ、自由に過ごせる時間は極端に制限されることになる。
その失い続ける自由時間を埋めるために、人は自分が手にした金でモノを買ったりいろんな経験を手に入れようと頑張るのではないだろうか。
自由に生きられないから、何か自分の心を満たすモノやコトを代替品として消耗し続けた気がする。
物心ついた頃には保育園や幼稚園に通わされ、小学校、中学校という義務教育を負わされる。
教育を受けることができるというのはたいへんありがたい話なのだろうが、しかしそれしか選択肢がないというのも今思えば窮屈だ。
私は何かとお騒がせな『ゆたぼん』という少年ユーチューバーのことは嫌いだが、生き方としてはああいうのもありなんじゃないかと思う。
ただ、彼の場合は自分でユーチューバーを望んでアカウントを作り、支払い口座の設定やカメラの操作、編集などをやっているとは思えない。
全部親が作ったものでやってるただの演者だ。
それが透けて見えるので、ゆたぼんもまた自由に生きているように見えて、実はとても不自由な子供に見えて仕方がない。
なぜなら教育を受けなければ受けなかったで、さらに大人になった時にとても不自由な生活が待っていることは目に見えているからだ。
結局どの道、この社会は自由に生きることなどできないようになっている。
若くして成功して、たとえ暮らしに困らないほどお金を手にしたとしても、華やかな世界で人気を得たとしても、何かが若い心を縛り付けていて自由など微塵も感じることができない。
だから多くの芸能人の方が、人気絶頂のはずなのに命を落とされているように思う。
人生をやり終える頃に
65歳の私は、日に日に老いて頭は回らなくなり体力もなくなっている。
目はかすみ頭もハゲた。
年中、腰は痛み、犬の散歩程度でも息が切れる。
皮膚はたるんでシワが増え、どんなに頑張ったところで20歳の自分の容姿を取り戻すことはできない。
しかし・・・
いろんなものを諦めた引き換えに、こんなに素晴らしい自由を手にすることができた。
幸せは未来にこそあると信じてた若い頃。
実は幸せとは今であることに気づいたのは60歳を過ぎてからだ。
それから自分の幸せとはこんなに小さいものだったのかと、思わず苦笑さえ出てきてしまう。
金を稼いで贅沢な暮らしをすることが幸せだ。
多くのモノを手に入れた者こそが幸せだ。
そんな考えしかなかった若い頃の自分が恥ずかしい。
今は晴れた朝が訪れるだけで幸せだと思うのに。
天気のいい朝なんて、若い頃に何千回経験しただろうか。
本当にもったいないことをした。
しかし生きているうちに気付けただけでもまだマシか。
金を使わないようになり
モノを買わなくなり
外食も減り
黙々と自分のためだけに自由な時間を費やす・・・
行きたい時に行きたいところへ行き
食べたい時に好きなモノを食べる。
飲みたい時に酒を飲み
寝たい時に寝る。
私は今、小さな家でわがまま気ままに生きる年老いた暴君だ。
そしてなんとも心地よい。
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