悪くないのに必死で謝る
ここに書くだけでもちょっと胸を締め付けられるような出来事があった。
解決策もなく
自分にできることも何もなく
ただ見ているだけしかできなかった。
いつも私が乗っている世田谷線だが、いつもの駅前の魚屋を覗いて始発の下高井戸駅から電車に乗ろうとした。
すると2つある電車の乗り口の一つで大声を上げて叫んでいる若者がいた。
いくつくらいだろう。
中学生か高校生か・・・
そのちょっと異常なほどの大声に、乗客はその乗り場の方には誰も近寄って行かない。
そしてその大声を上げて叫んでいる若者を必死でなだめようとしている一人の男性がいた。
おそらく父親かと思われる。
父親は『静かにして、静かにして』と何度も若者に伝えるが、若者の叫びは一向に収まらない。
何を叫んでいるのかもよくわからない。
とにかく大声だった。
私はその若者がいる方の乗り場に近づきながら、どういう状況なのかを知りたかった。
その結果、どうやら若者は少し精神に障害があるようだった。
だから意味不明なことを大声で叫びつづけ、そして父親はいつものようになだめようと必死になっているのだろう。
立派な体格の若者は力も強い。
細い体の父親は今にも投げ飛ばされそうだ。
程なくして電車がホームに入ってきた。
空っぽになった電車に乗客が乗り込む。
しかしあの若者は電車の中でも大声で叫び続けていた。
ホームとは違い電車の中では、あの叫び声がさらに大きく聞こえた。
近くに座っていた中学生くらいの女の子が怯えているのがわかる。
電車内の乗客もみんな一応に顔をこわばらせている。
そりゃそうだ。
さすがに電車内であんな大声で叫び続けられたら、誰だって恐怖心でいっぱいだろう。
父親は必死で若者をなだめながら、車内の乗客に向かって『すみません、すみません』と頭を下げて謝っている。
それでもあの女の子は、何か怖い怪物でも見るかのような目で怯えきっていた。
父親はあんなに頭を下げなければならないほど悪いことをしたのだろうか。
誰か悪いのか?
自分と同じ人間を見て怯えている女の子も悪くない。
何もできない車内の乗客も誰も悪くない。
私だって何もできないのだ。
それなのにただひたすら父親は見知らぬ乗客に頭を下げていた。
そのうち見かねた電車の運転手が『車内では静かにしてください』と、父親と若者に向かって言った。
父親はまた『すいません』と運転手に頭を下げる。
この父親はこの子が生まれてからずっとこうやって謝って生きてきたのだろう。
運転手もこのコロナ禍だから、車内では乗客を静かにさせるようにと会社から言われているのだ。
運転手も会社の指示だから悪くない。
決して父親を責めようとしているわけではない。
ただ・・・
誰も悪くないのに何か悲しい。
早くこの場から去りたいと思っている人がほとんどだろう。
この場から逃れさえすればまた元の日常が待っている。
しかしあの父親だけは、いつまでもいつまでも謝り続けて生きるのだ。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食は納豆ごはん。
最近はひきわり納豆にしている。
最近はひきわり納豆も大きいひきわりや小さいひきわりが選べるようになった。
なんでも値上がりする中で納豆は値上げしないようだな。
ランチはエビのバジルパスタ。
市販のバジルソースを混ぜるだけだから簡単!
冷凍海老に酒を振って炒めると臭みも抜けてうまい。
パスタは150g。
大盛りだ。
この歳で自慢してもしょうがないが、パスタだといくらでも食べれる気がする。
晩ごはんは鶏と里芋の煮物、きんぴらごぼう、冷奴、サラダ。
里芋の皮をむくのが面倒なので水煮を買ってきたが、やっぱ生の里芋の皮をむいて作った方が格段にうまいね。
世の中にはどうにもならないことがたくさんあって、ただ私たちの目に触れてないだけなんだろう。
あの電車の若者と父親を見ていて思った。
若者の行動を制するのは父親としての責任なんだろう。
しかし別の見方をすると子供を庇いながらも自立させようと一生懸命な父親に見えた。
それには子を思う愛情がなければ到底できないことだ。
世の中では子供を殺す親のニュースが多い。
一方であの父親の姿を見て、子供を生かそうと必死の親の姿を見た気がした。
※昨日もコメントありがとうございます!
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