時間は何も解決しない
ひとりでもう6年も生きたのか。
妻に先立たれた男はいつまでも悲しみを引きずり、生涯荒んだ生活を送ると言われる。
一方女はと言うと夫が亡くなってもすぐに立ち直ってひとりの生活を楽しむらしい。
しかもひとり暮らしになった男は一気に寿命が短くなるというデータもある。
つくづく男は情けない。
昨日読んだ記事にはこういうことが書かれていた。
ある67歳の男性の奥様の話しだが、その奥様が乳がんで5年の闘病生活の末ご主人をひとり残し亡くなった。
そして亡くなった奥様の実のお姉さんにご主人はこう言われたそうだ。
『時間が解決してくれるわよ』
ご主人はそのお姉さんの言葉を聞いて、たしかにそうかもしれないが冷たい言葉だなと思ったと書いてあった。
時間がいったい何を解決するのだろう?
私の嫁が亡くなったときには誰もそんなことを言う人はいなかった。
時間が解決できるのはせいぜい失恋の痛みくらいのものだろう。
人ひとりが死んで時間の経過で救われることなど何もない。
ただ6年経って少しだけ変わったことと言えば、急に涙がポロポロと溢れ出すことがなくなったくらいだ。
しかしそんなことは『解決』とは言わない。
この6年という月日で気づいたことがいくつかある。
嫁の死が教えてくれたことと言ってもいい。
ひとつは、嫁がいない1日はこんなに長いのかということ。
これは先ほどの乳がんで奥様を亡くされた男性もおっしゃられていた。
30年ものあいだ、1日の時間は二人で分けて使っていたのだ。
朝起きるのも一緒。
夜寝るのも一緒。
酒を飲むのも飯を食うのも全部嫁と二人でやってきたのだ。
それが急にひとりになってしまったから、1日という時間をひとりでは使いきれなかった。
何もしない時間がぽっかりと空いてしまった。
私が家事や料理に時間を使うようになったのは、その空白の時間を埋めるためかもしれない。
そうじゃなければ今でも1日をひとりで使い切るのは難しい気がする。
もうひとつ嫁の死でわかったことがある。
確信したと言ってもいい。
それは人の人生とは本当に一度きりなんだなということ。
6年前の6月23日という日に嫁の人生はブッツリと切れた。
容赦無く終わりを迎えたのだ。
当時はまだ病院に行けばなんとなく嫁に会える気がしていた。
いや、それは今でもそんな感覚がある。
あそこで、あのベッドで、嫁はまだ私が買ってあげたiPodのイヤホンを耳にはめて寝ているんじゃないかと。
そして何か不思議な現象が起こることを期待していた。
いつか嫁の魂が私に会いにくるのではないだろうか。
何か私にメッセージを伝えようとするんじゃないだろうか。
そんなことをずっと考えていた。
しかし嫁の死後、何も変わったことは起こらない。
メッセージも魂も何もないのだ。
嫁の人生は終わったのだ。
たった一度きりの人生。
本当にそうだった。
嫁の死が私に教えてくれたことの最後。
いやこれは教えてもらったことではない。
嫁の死が残した疑問だ。
なぜ死んだのが嫁で自分が生かされているのか。
ずっと嫁と二人で話してきたことは、私が先に死んで嫁はきっと長生きするだろうということ。
なんの疑いもなく二人でそう思っていたのだ。
しかし58歳という若さで命を絶たれたのは嫁だった。
私ではなく。
そしてどうして私の方が生かされているのか。
6年という時間が経過してもまったく解決されない私の最大の疑問だ。
どうして嫁だったんだろう。
おひとりさまの老後はこれからも続くのか。
長い時間をかけてその答えが見つかるといいが・・・
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