嫁が死におひとりさまの老後となって5年〜時間が解決することは何もない

嫁のこと
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時間は何も解決しない

 

ひとりでもう5年も生きたのか。

 

妻に先立たれた男はいつまでも悲しみを引きずり、生涯荒んだ生活を送ると言われる。

一方女はと言うと夫が亡くなってもすぐに立ち直ってひとりの生活を楽しむらしい。

しかもひとり暮らしになった男は一気に寿命が短くなるというデータもある。

つくづく男は情けない。

 

昨日読んだ記事にはこういうことが書かれていた。

ある67歳の男性の奥様の話しだが、その奥様が乳がんで5年の闘病生活の末ご主人をひとり残し亡くなった。

そして亡くなった奥様の実のお姉さんにご主人はこう言われたそうだ。

 

『時間が解決してくれるわよ』

 

ご主人はそのお姉さんの言葉を聞いて、たしかにそうかもしれないが冷たい言葉だなと思ったと書いてあった。

時間がいったい何を解決するのだろう?

 

私の嫁が亡くなったときには誰もそんなことを言う人はいなかった。

時間が解決できるのはせいぜい失恋の痛みくらいのものだろう。

人ひとりが死んで時間の経過で救われることなど何もない。

 

ただ5年経って少しだけ変わったことと言えば、急に涙がポロポロと溢れ出すことがなくなったくらいだ。

しかしそんなことは『解決』とは言わない。

 

この5年という月日で気づいたことがいくつかある。

嫁の死が教えてくれたことと言ってもいい。

 

ひとつは、嫁がいない1日はこんなに長いのかということ。

これは先ほどの乳がんで奥様を亡くされた男性もおっしゃられていた。

30年ものあいだ、1日の時間は二人で分けて使っていたのだ。

 

朝起きるのも一緒。

夜寝るのも一緒。

酒を飲むのも飯を食うのも全部嫁と二人でやってきたのだ。

 

それが急にひとりになってしまったから、1日という時間をひとりでは使いきれなかった。

何もしない時間がぽっかりと空いてしまった。

 

私が家事や料理に時間を使うようになったのは、その空白の時間を埋めるためかもしれない。

そうじゃなければ今でも1日をひとりで使い切るのは難しい気がする。

 

もうひとつ嫁の死でわかったことがある。

確信したと言ってもいい。

 

それは人の人生とは本当に一度きりなんだなということ。

5年前の6月23日という日に嫁の人生はブッツリと切れた。

容赦無く終わりを迎えたのだ。

 

当時はまだ病院に行けばなんとなく嫁に会える気がしていた。

いや、それは今でもそんな感覚がある。

あそこで、あのベッドで、嫁はまだ私が買ってあげたiPodのイヤホンを耳にはめて寝ているんじゃないかと。

 

そして何か不思議な現象が起こることを期待していた。

いつか嫁の魂が私に会いにくるのではないだろうか。

何か私にメッセージを伝えようとするんじゃないだろうか。

 

そんなことをずっと考えていた。

しかし嫁の死後、何も変わったことは起こらない。

メッセージも魂も何もないのだ。

 

嫁の人生は終わったのだ。

たった一度きりの人生。

本当にそうだった。

 

嫁の死が私に教えてくれたことの最後。

いやこれは教えてもらったことではない。

嫁の死が残した疑問だ。

 

なぜ死んだのが嫁で自分が生かされているのか。

ずっと嫁と二人で話してきたことは、私が先に死んで嫁はきっと長生きするだろうということ。

なんの疑いもなく二人でそう思っていたのだ。

 

しかし58歳という若さで命を絶たれたのは嫁だった。

私ではなく。

 

そしてどうして私の方が生かされているのか。

 

5年という時間が経過してもまったく解決されない私の最大の疑問だ。

 

どうして嫁だったんだろう。

 

おひとりさまの老後はこれからも続くのか。

長い時間をかけてその答えが見つかるといいが・・・

 

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老後のおひとりさまごはん

昨日の朝食は塩鮭定食

写真ではわからないが実は味噌汁に生卵がはいっている。

熱々の味噌汁に生卵を入れて半熟で食べるのが好きなのだ。

 

 

ランチは味のマルタイ長浜ラーメン

ここにも半熟煮卵がはいっている。

豚骨ラーメンのトッピングのオールスターだ。

 

 

晩ごはんは冷奴と・・・

 

 

大量のおからとポテトサラダ。

実は昨日は午後から急なオンライン会議がはいってしまい忙しかった。

そのうえに娘から何かご飯を作って持ってきてほしいと頼まれたので、いつものおからとポテトサラダを作って持っていくことにした。

これ以外は、あさりの炊き込みご飯とチキンカレーを持っていく。

 

娘に赤ちゃんが産まれてちょうど1週間。

今日は朝から二人目の孫の顔を見に行ってくる。

楽しみだ。

 

この5年で変わったことの一番は二人の孫が産まれたことだろう。

 

人生は一度きりだが命は確実つながれていく。

コメント

  1. おはよー、ぺこりーのさん!ご無沙汰です。お茶屋の嫁だよー!
    今日も良きお話ありがとう。ジットリうつうつと続く雨の日がしっとりしみじみ雨の朝。。に変わりました。
    読んでて、子ども時代好きだった新八犬伝のエンディングの歌。巡る巡る―やったかなぁをふと思い出しました。。。九ちゃんがうたってた。。。聴いてみてください。ちなみにyatufusaは新八犬伝に出てくる犬に名前。犬も大好きだけど。今は二匹の猫兄妹のおかぁちゃんです。

    • yatufusaさん

      コメントありがとうございます!

      お茶屋の嫁は覚えてますって(笑)
      相変わらずお仕事頑張ってますか?
      働きすぎするとお金持ちになっちゃいますよ〜。

      新八犬伝?
      八犬伝のゲームはやったことがあるな。
      yatufusaさんは犬の名前だったのね。

  2. ペコリーノさま

    はじめまして。
    ペコリーノさんとは一致する事が多く共感する事が多いです。
    年齢が同じ、美術系の大学に行っていた、犬を飼っている、ビールが好き、等々。
    書かれていることにも同じ想いを持つ事が多いです。

    私は今年の一月に主人を肺がんで亡くしました。
    自分でも思っていた以上に辛い毎日です。
    日々の暮らしは、人から見れば、 元気そう! なのですが、
    一日中主人のいろいろな事を思い出し、
    ここから立ち直る事ができるのだろうか?という思いでいます。

    きょうのペコリーノさんの記事では胸がいっぱいになりました。
    私も亡くなったら主人は出てきてくれるのではないかと思ってましたが
    ぜんぜんでてきません。気配もしない...

    あの世があり、主人は私たち家族をみていてくれるのだと思いたい。
    いままでの苦しみから解放されて気持ちよくいるのだと思いたい

    あの世がないのだとしたら、
    主人にしてあげられなかった事への後悔の思いが何も伝わらないのかと
    思うと辛く、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

    意味のないことは起こらない!と言われますが、
    生きている方には主人を亡くした事の意味があるかもしれないけれど
    亡くなってしまった人にとっての死ぬ意味なんてあるんだろうか?
    と思います。

    一月前には愛犬の上の子が急に無くなりました。
    15歳と高齢でしたが無くなる前日まではご飯も食べていたので
    あまりの急な事に心がついていきません。
    まだ、生きているかのようにくらす毎日です。
    この子もなくなってから一度もでてきてくれません。

    主人が一人では寂しいので、犬も連れて行ったのかなと思っています。

    • asamiさま

      初コメントありがとうございます!

      今年、ご主人が亡くなられたんですか。
      それはお辛いですね。
      ワンコはきっとご主人が連れていかれたのでしょう。
      うちの嫁も上のワンコを連れて行きました。

      先に亡くなったご主人は、asamiさんに人生の意味を教えるために亡くなったのだと思います。
      他人のためにこんなに涙が出ることなんてないですよね?
      少しづつご主人と暮らした日々のことを思い出せるようになると、いつか満ち足りた気持ちになれるはずです。
      なんて素晴らしい人生だったんだと。

      これからひとり暮らしを楽しんでください。
      そしていつかご主人に話してあげましょう!

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