人間力
少し前の話になるが、私が京都に住んでいたころにお世話になった上司がいた。
もうそこそこのご年齢の方だったので、私が転職して東京に引っ越しした頃には定年になられていた。
そして東京へ引っ越しして1年ほど経ったころだったと思う。
珍しくその京都時代の上司から私にアポイントがはいった。
当時は広告やPRの部署の責任者をしていたので、いろんな方からアポがはいりお会いするのが仕事でもあった。
しかしその元上司は定年退職して現在は無職だと聞いていたので、何の御用でわざわざ京都から上京されるのかがわからなかった。
仕事がらみじゃなければなんだろうと思いつつ、久しぶりに元上司にお会いして私は驚いた。
何に驚いたかというと、名刺交換した際に渡された名刺には『元○○株式会社 営業部長』と書いてあったのだ。
すでに定年退職した会社の役職が『元』という漢字がついてはいたものの、そのまま使われていたのだ。
現在は会社員時代の人脈を生かして、フリーでビジネスマッチングのようなことをされているということだった。
そこにどうしても元の役職が必要だったのだろう。
会社員時代は部長と呼ばれ部下もついてきてくれたが、定年退職の日から部下は消え自分のデスクもなくなり、電車の定期券も買う必要もなくなった。
自分が何者かを証明する唯一のツールである名刺もなくなったのだ。
そして考えあぐねた挙句、自分で勝手に元部長の肩書きをいれているのであろう。
これが日本か・・・
そのとき私はそう思った。
会社という組織にいてこその自分なのだ。
肩書きがなくなったとたん自分が誰なのかわからなくなる。
それにしても『元部長』って・・・
『元ミスインターナショナル日本』とか『元WBA世界チャンピオン』とかならわかる。
それは個人で獲得したタイトルだからだ。
部長って課長の上の方。
ただの職掌だ。
その部長という肩書きがないと、この元上司は老後をひとりで生きていくこともできないのかと思った。
会社という群れの中にいると、自分の人格や人間力も保証されていると勘違いしている人が大勢いる気がする。
定年退職して会社という群れから離れてひとりの素の人間に戻ったときに、どのように生きていけばいいのかわからないのだろう。
つくづく日本人って誰かと群れてないと生きていけない羊のような生き物だ。
政治も政党や派閥という組織で囲われている。
政治家になるという志は、どの政党にはいるかそしてどの派閥にはいるかによって少しづつ歪められ、いつのまにか選挙のためには党や派閥をころころ変わっても何とも思わない。
選挙が目的となり志という言葉は選挙のためのただのコスチュームに変わる。
私の母は永年創価学会の会員だ。
母もまた創価学会という群れの中にいることでしか自分の存在の意味を見つけられない。
先日の東京都議選のときにはいつものように母から葉書が届いた。
今回の選挙は公明党が苦しいから公明党の候補に入れてほしいと書いてある。
毎度のことだが、こういうことをやって仮に公明党の候補が当選したとしたらそれは大きな問題だろう。
東京都の都議会議員を選ぶのは都民であり、東京都をよりよくしてくれる人を選ぶというその目的以外にありえない。
熊本県に住む母が候補者の名前も知らない人のことをなぜ推すのか?
いや、母が推しているわけじゃない。
群れにいることがそうさせるのだ。
まあ、高齢の母にそれを言ったところでどうしようもないが、群れの中にいて自分を見失しなっていることすらわからなくなっている。
ワクチンを打つ人の群れと打たない人の群れ。
差別をする人たちの群れと差別される側の人たちの群れ。
みなどこかに群れてないと不安なんだな。
よく耳にするエスニックジョークが思い浮かんだ。
世界中の国にコロナワクチンを打たせるためにWHOがこう言う。
・アメリカ人には『ワクチンを打ったらヒーローになれるぞ!』
・イギリス人には『ワクチンを打ったらジェントルマンと言われるぞ!』
・ドイツ人には『ワクチンを打つのはルールだ!』
・イタリア人には『ワクチンを打てば女にモテるぞ!』
・フランス人には『ワクチンは打つなよ!』
・そして日本人には・・・
『みんなワクチン打ってるぞ!』
老後のおひとりさまごはん
昨日のブランチはサバの塩焼き定食。
最後のあさりの炊き込みご飯、昆布サバ、味噌汁、サラダ。
昆布サバは相変わらず脂が乗っててうまい!
そしてあさりの炊き込みご飯も最高だった。
必ずまた作る。
晩ごはんはとり貝のお刺身、うざく、うなぎの蒲焼、サバ寿司、卵焼き、コールスロー、ミニトマト、ブロッコリー。
とり貝もうなぎも特売で安かった。
まあどちらもサイズが小さくておひとりさま向けだったから買ったのだが・・・
きゅうりと針生姜、うなぎを和えたうざくが一番美味しかった。
カリカリに焼いたうなぎと塩揉みしたきゅうりが最高のマリアージュ!
私もひとり暮らしになってから、どこにも所属せず、どのチームにもはいらず、肩書きもなければ何者でもなくなった。
自分で長年納めた年金で暮らし、ワクチンも自分を守るために打った。
自分のための食事を作り、ひとりで酒を飲み1日を終える。
一匹狼と言うほどカッコ良くはない。
どちらかというと野良犬のようだな。
群れようにもまわりに誰もいない。
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
この古典的エスニックジョーク、座布団5枚ぐらいの価値ありますね。
…って「座布団一枚!」は今でも通じますか?笑
私は「みんなやってるぞ」と言われると、「じゃあ、やめとこ」と思いがちです。
それって別の意味で「みんな」の影響受けちゃってますよね。^^;
ぺこりーのさんのように常に自分の頭で考え決断し行動していきたいです。
Kayさん
コメントありがとうございます!
座布団5枚(笑)
死語とは言いませんが誰も笑いませんね。
誰かと行動を共にしても誰も責任はとってくれないので、やっぱり自分の考えで行動するのが一番かと思います。
子供が中学生までは参観日や保護者会に定期的に行かないといけなくて、だいたい一人で参加してました。(誘われたら喜んで一緒に行きました!)
先生の話を聞きながら、近くの保護者のおしゃべりが聞こえてきて、「みんなまとめてどうでもいい話しやろ!」とダークな自分を感じるのが心地よかったです。誰かが声をかけてくるかな?と期待はしてるんですが、一人もまあ平気です。人気者ではないですね(笑)
みーやんさん
コメントありがとうございます!
ママ友みたいな群れもめんどくさそうですね〜。
日本独特なんでしょうか。
人気者なんかになりたくないな〜(笑)