もちろんお世辞ですとも
先日、特殊詐欺の電話かと思ったとブログで書いた銀行の営業の女性が、帰りのエレベーターの前で私にこう言った。
それにしてもお若いですねと。
若い女性に言われたからと言って、真っ直ぐ受け取るほど私も身の程知らずではない。
ただ、自分でも年相応とも思ったことはない。
それは見た目ではなくてなんと言えばいいのだろう。
ここで表現を間違えると『自慢か!』と言われてしまうから気をつけよう。
『老けこんではない』
そういう言い方の方が近いかもしれない。
禿げ具合も皮膚のたるみ具合も年相応だが、どうしても見た目以外は年相応にはなれない。
たまに都合よく年寄りになったりもする。
でも、それだって半分はパフォーマンスだ。
み〜んなできれば老いたくないと思っていると思う。
誰が好き好んで歳を取りたいだろうか。
しかしそうやって抗っても加齢は否応無しにやってくる。
ただ、世の中を見渡すと明らかに年相応じゃない人たちがいることは、みなさんもよくご存知であろう。
その人たちはなぜ歳を取らないのか?
顔を見ても歳はとっているがなぜか若々しい。
美魔女でもないがちょっと乙女を感じる。
そんな人が私の周りにも確かにいる。
男も女も関係なくだ。
何か共通点があるのかもなと思っていたら、ああ〜これかも!と思える記事を見つけた。
それは作家の末井昭さんという方が執筆された本に書かれていることだ。
末井さん曰く、老化の原因は歳を意識するからだとおっしゃっている。
現に末井さんはある出版社から『老後について』書かないかという依頼があり、それから急に自分の老後や死について考え出したそうだ。
今まで全く自分の歳を意識したことがないから、自分がいつから老後だったのかもわからないとおっしゃる。
本当かよ〜。
末井さんはすでに74歳になられる。
私よりも9歳も年上だというのに今まで老後のことを考えたことがないって・・・
末井さん!
あなたはすでに老後ですよ〜。
平均寿命までもう10年切ってますから!
しかし末井さんが言いたいことはそういうことなんだろう。
自分の歳を意識しないと『え?俺ってもう老後すか』となるのだ。
それは私も激しく同意する。
私はそこまで歳を意識してないわけじゃないが年相応という言葉が大嫌いだ。
日本ってこうあらねばならぬみたいな社会の目があって、そこから外れるものを極端に嫌う。
でもそんなことをしてると、すべからくみんな年相応になって老いたくないといくら頑張ったところですっかり平均的な老人になる。
老いたくないなら自分を生きないとダメだ。
歳を取らない方法はこれしかないと思った。
私が考えるに人は歳をとったから老人になるんじゃない。
カチカチと音を立てて時間は進む。
そして毎年の誕生日にカチッと大きな音を立てて老化が進んだわけではないのだ。
日々、本人に気づかれないようにちょっとづつ老化している。
先程書いたように、世の中には見た目も生き方も驚くほど若々しい人がいる。
一方、年齢が若くても妙に老けこんでいる人もいる。
クリエイティビティと言えばいいだろうか。
こんなコロナ禍でも楽しみを自分で創造しそこに幸せを感じられる生き方。
ちょっとでもワクワクすることを自分の中に見つけ出す能力に長けている方。
そういう方はきっと歳を取らない気がする。
その創造力が年相応をよしとしないのだ。
だから横にいる人の生き方を真似て生きるようなことはきっとしない。
自分の生き方を人がどう言おうがどうでもいいから。
老いたくないなら創造的に生きよう!
これが歳を取らない唯一の方法だと私は思う。
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