親のことでもあり自分のことでもある
ある30代の男性の悩み相談だ。
60歳の父親が病気で倒れ急に介護が必要になったとのこと。
婚約している彼女とは近々結婚する予定だったが、父親の介護と介護費用のことを考えると結婚を諦めなければならないと思っている。
しかし彼女とは別れたくない
自分はいったいどうすればいいのかという相談だ。
この相談に回答しているのはタレントの毒蝮三太夫さん。
毒蝮さんの回答はよく読んでないが、おそらくこういう悩みを抱えている人たちは、日本中にたくさんいるのだろうと思った。
介護のために結婚を諦める。
介護のために仕事を辞めた。
介護のために離婚した。
介護のために人生を諦めた。
親の介護に悩んでいる人たちのことは毎日のようにニュースになっている。
しかしこれだけでは終わらない。
つい最近のニュースだが、85歳の夫を介護疲れから77歳の妻が首を絞めて殺そうとした殺人未遂事件。
長い人生を共に歩んできたはずの夫婦が、介護という問題で最後は殺人事件にまで発展する。
老老介護も悲惨な現実であることは間違いない。
こうなっても介護はしなければならないのか?
殺人事件になるまで自助努力を要求されるものなんだろうか・・・
私にはよくわからない。
たぶんに誤解を招く発言かと思うが、介護できなければしなくていいと私は思う。
子供も親の介護をするかしないかは個々の家庭の事情で考えればいい。
子供が親の介護をするのが当然のようなことが世の中の風潮としてあるから、子供が自分の人生まで諦めなければならなくなる。
できないんだったらしないだ。
私が薄情なのかもしれないが親と子供が心中する必要はないだろうと私は思う。
先ほどの結婚を諦めようとしている30代の男性ももっと公助に頼ってみてほしい。
私は詳しくないがきっと世の中の制度でどうにか救える方法があるはずだ。
介護も人によって介助の度合いが違う。
しかし病気で倒れてそれで介護が必要になったというのなら、それは医療制度で救うべきなんじゃないか?
若い頃に大病に罹ったからといって、自宅で家族が看護しますなんて話は誰も聞いたことがないだろう。
それがただ老人に代わっただけの話じゃないか。
たまたま30代の男性のことがニュースになっていたので目に止まったが、このブログの読者の方にも
介護で大変な思いをされている方は多いと思う。
しかし私には介護という言葉はずっと他人事のように聞こえてあまり関心もなかった。
私のように親がいないと親の介護というものを全く想像すらできないというのが本音だ。
どちらかというと、介護については私が娘に介護される立場ということであれば、よく理解できるしいくらでも想像できる。
だからこそ子供が親の介護をしないという選択に賛成するのである。
私の母親は生きてはいるが、今まで一度も一緒に暮らしたことがないからさすがに私に介護を頼もうとは思わないだろう。
それにまだまだ元気で動けなくなったら自分で施設に入るとも言っている。
まあ兄弟や親戚も近くにいるし本人もさほど心配してない様子だ。
私が親を必要としている時に親はいなかった。
おかげで親の介護に悩むこともないのかもしれない。
しかし娘は私の老いから目を背けることはできない。
私が娘を大事に育ててきたことなんて当たり前のことだから負担に思うことはない。
だから介護も当たり前などと思わないでほしい。
やれるならやれ。
やれないなら私がなんとかする。
最後に・・・
自転車に乗るのも、車の免許返納も、おおよその死ぬ時期も、全部自分の意志で決めたい。
介護を断れば長生きもできないはずだ。
そうすればおおよその寿命を自分で決められる。
それが一番いい人生の終え方のような気がする。
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
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