小さな小さな命
可愛いシーズー犬のゆいまる。
ゆいまるがうちに来ることになった理由は以前にもブログに書いた。
最近お散歩していると、なぜか『可愛いですね〜』と言われることが増えた。
私と同じだけ歳をとってきたにもかかわらず、なんでお前だけが可愛い呼ばわりされるのか・・・
不条理だ。
老犬のくせに子犬みたいな顔しやがって。
とてもシーズーには見えないカットをしているので、それでみなさん可愛いと言ってくれてるのかもしれない。
耳の毛をベリーショートにしているシーズーなんてまずいないはずだ。
昨日は私が仕事で1日中家を空けていたので、ゆいまるは夜までひとりでお留守番だった。
いつも私が呼んでも見向きもしないくせに、昨日はさすがに寂しかったのか私が帰ると珍しく玄関まで走ってきた。
盛大に尻尾を振ってなついてくるゆいまる。
そうそう!
ペットはそうじゃなくちゃ!
しかもお前は犬だろ?
犬は犬らしくな。
ゆいまるはこの世に何も持たずに生まれてきた。
たしか埼玉生まれだったと思う。
血統書を見るとゆいまるの家系図がずらりと書いてある。
しかしゆいまるは、生まれてから両親に育てられることもなく池袋のペットショップの箱の中にいた。
親に甘えたこともなく兄弟がいることも知らない。
11歳になった今でも、自分のものと言えばご飯用の縁が欠けたお茶碗ひとつだけ。
そしていつか、欠けたお茶碗ひとつだけ持って死んでゆくのだろう。
パンの耳をちぎってあげれば、ほんの2切れでも幸せだとゆいまるはしっぽをふる。
セールのいちごを1個あげてもお座りしてありがとうと言う。
私と一緒の布団で寝る毎日。
私と散歩に行く毎日。
そんな小さな幸せだけがゆいまるの人生なのだ。
食べたいものが食べれるわけでもない。
外で自由に遊んだことすらない。
いつも背中にはリードがついている。
それでも文句も言わずに繰り返しの毎日をゆいまるは生きている。
実にシンプルだ。
ゆいまるを見ていると自分もそうありたいと思うことがある。
人間も生まれたときは何も持たずに生まれてくる。
しかし一生を終える頃になると、いろんなモノやしがらみが身の回りに絡み付いて離れない。
食べて寝るという普遍的な幸福のために、必要がないものがやたらと身の回りに存在する。
いつから私はこんなにたくさんのモノと暮らすことになったのか・・・
なぜ人間は犬のようにシンプルに生きれないのだろうか。
パンの耳では喜べない。
いちご1個では量が足りない。
欠けた茶碗は捨ててしまう。
つくづく人間は欲に支配されて生きていると思う。
強欲な大人ほど醜いものはない。
しかし犬は無欲だ。
だからみんなから可愛い可愛いと愛される。
人間も欲が少ない人はきっと愛される。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はウィンナーエッグ定食。
シャウエッセンばんざい!
朝食を食べるのに器を8個も使ってる。
ランチはエスニック焼きそば。
先日のつけ麺を半分冷凍してとっておいたので、それで焼きそばを作ってみたがなかなかうまい!
器は北欧の中古雑貨屋さんで見つけた木の取って付きのステンレスボウル。
豚バラ肉、シーフードミックス、もやし、ニラを入れてオイスターソースとナンプラー、砂糖で味付け。
焼きそばはやっぱ太麺がうまいね。
夜は鶏ささみのピカタ。
ローズマリーと一緒に寝かせておくといい風味がする。
昨日は休肝日だったので炊き立てのご飯をいただいたが、最近は夜にご飯を食べるのにも慣れてきた。
ワンプレートだから使う食器は少ないが、それでも3つは使っている。
ゆいまるは毎日がワンプレートごはん。
今朝の朝ごはんの様子だが、私が『よし!』と合図を出すまでこのクラウチングスタートの姿勢で待つ。
ごはんはアレルギー用のドライと生の馬肉、私の手作りの人参とさつまいものマッシュ、そして煮干しだ。
今日はこれにパンといちごを少々あげた。
この器が唯一のゆいまるの財産。
モノが少なければ幸せというわけではないだろうが、もう欲はほどほどでいい。
人生で一番欲しかったものは、もうずいぶん前に手に入れてしまったからな。
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