過ぎ去れば全ては夢の跡・・・記憶にも残らないただの時代の一部

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自分だけの記憶

 

27年前の1月17日に阪神淡路大震災が起きた。

私が38歳の時だった。

ちょうど私は転勤で福岡にいたがその数年後、京都にまた転勤になった。

 

関西に転勤になり、同じ会社の同僚やそのご家族が震災の被害にあわれたことを知り、始めて大震災の被害の大きさを実感した。

私は運がいいのか何なのかわからないが、これまで自然災害などで被害にあった経験がない。

 

それから27年という月日が経ち、昨日は神戸では毎年続けられている鎮魂の集会が行われていたようだ。

当時、高速道路が倒壊してバスが危うく落下しそうになっている映像を見て、まるで映画のワンシーンを見ているようだったことを思い出す。

 

しかし今の神戸の街からはそんな災害のことなど微塵も感じさせるものはない。

瓦礫だった街は人の手によって美しく生まれ変わり、あんな災害があったことなど嘘のようだ。

 

絶対に忘れてはならない災害の記憶。

後世にその時の教訓を残すためにも、あるいは失った命を忘れないためにも鎮魂の1日は繰り返されていくのだろう。

 

ただ、時間はそんな大切な記憶もいつか消し去ってしまう。

過去に起きた安政の大地震では1万人以上の死者が出たそうだ。

また江戸の大火での死者の数は10万人以上。

 

ちょっと想像すらできない災害である。

しかしもうそんな災害のことを覚えている人などいない。

全ては歴史として語られるだけになった。

 

時間とは当然だが無常なものだな。

どんな出来事も過ぎ去ればすべては時代の一部。

 

記憶にも残らずただ消え去っていくだけの時間になってしまう。

今のこのコロナ感染も、いつの間にか貧困国になってしまった日本のことも、眞子さまの反乱のことも、少子化も、高齢化も・・・

すべてあの時代の話ねと言われるようになるのだ。

 

私がこの時代を生きたことも、年金生活が苦しかったことも、このブログの存在も、地球温暖化で世界が騒いだことも。

全ては夢の跡か・・・

 

せめて自分だけは記憶しておきたい。

大切なことから順番に思い出せるように。

何もこの世に残せた足跡などないけど、それでもこの時代に生きていたことをこのブログにも記しておきたい。

 

忘れたくなかった幼少期の記憶も、この歳になって思い出してみるといったいどれが本当の記憶だったのかもよくわからなくなっている。

父も母もそこにいなかったのは覚えている。

 

しかしそれで不幸だったのか、苦しかったのか、寂しかったのか、辛かったのか。

幼い私は何を思っていたのだろうか。

 

記憶から消されるほど辛かったのかもしれない。

そんな幼少期を私に経験させた母も、今では小さく丸いただのお婆さんとなってしまっている。

 

感情の記憶がないから憎しみのかけらもなくなった。

もうすでにあの時代の出来事になってしまったのだ。

 

そして私もまたもの忘れが激しいただの老人となった。

 

 

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老後のおひとりさまごはん

 

昨日の朝食はハムエッグごはん。

やけにごはんが多いように見えるだろうが・・・

実際多い。

 

ハムエッグにドバドバ醤油をかけて食べるのが最高だ。

 

 

ランチは今日もインスタントラーメンで作った激辛ラーメン。

たまたま赤唐辛子と青唐辛子があったのでそれで激辛ラーメンを作ってみたが、食べ終わる頃には涙目になっていた。

 

pecorino-ramen

 

休肝日の晩ごはんは銀だらの西京焼き定食。

久しぶりにおからを作ったが我ながらうまいね〜!

 

焼き魚におからに白和え、冷奴・・・

日本人にはご馳走だな。

 

 

私の場合、食べ物に関しては時代が変わったからといってあまり変わってない気がする。

若い頃からファストフードは食べないし、だいたい今と同じようなものばかり食べてきた。

変わったのは外食が減ったくらいだろうか。

 

しかしコロナじゃなかったらここまで家で料理してなかったかもだ。

きっと何年も時間が経てば、あの時代はみんなが外食やめて家で料理してたんだよなんて話をするんだろう。

 

そんな話を大勢の仲間と居酒屋のテーブルを囲んで話せる時代。

 

いつになったらそんな時代になるんだろうか。

 

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