国民はお客様
私が初めて就職した会社は、最初は小さな会社だったがその後東証1部に上場するまでに成長した。
たいへん立派な創業社長だった。
とにかく思考が柔軟で社員を大事にする。
社内の風通しがよく一般社員の意見に常に耳を傾ける姿勢が素晴らしかった。
だから1代で1部上場も果たせたのだと思う。
その会社では総務部門、当時はファシリティ部門と呼んでいたが、ファシリティ部門は社員がお客様だから、社員にはそのように接するようにと周知徹底されていた。
ファシリティ部門のスタッフの昇給とボーナスは、年二回実施される社員全員へのアンケートで決定された。
ファシリティ部門のサービスの満足度、仕事の評価、応対品質などなど。
給与とボーナスが社員全員による評価で決まるもんだから、ファシリティ部門のスタッフはとにかく社員目線で物を考え、そこまでやるかというほど社員サービスに徹底していた。
そしてホールディングス企業となった時に、ファシリティサービスを他の企業にアウトソーシングするビジネスまでスタートした。
要するに総務代行業のようなものだ。
こうなるともはや総務部はコストセンターではなくて立派なプロフィットセンターである。
もう何十年も前の話だから今考えてもすごい会社だったなと感心する。
間接部門とはそうあるべきじゃないだろうか。
社員が働きやすいように徹底的に環境を整えてあげる。
するとさらに会社全体の生産性が向上する。
そして会社も従業員も潤うという善循環の仕組み作り。
理想だな。
で!
今日のタイトルの話になる。
私もこれまで特別支給の老齢年金を受給してきた。
2ヶ月に1度ね。
そして65歳になったからこれから本格的な老齢年金を受給することになる。
2ヶ月に1度!
ここで私が納得し難い現実があるのだ。
私も長年サラリーマンとして社会保険料を支払ってきた。
2ヶ月に1度じゃなくて毎月!
なんで保険料の徴収は毎月給与から引かれているのに対して、いざ年金の受給はというと2ヶ月に1度ってどゆこと?
政府も大きな意味で言えば日本のファシリティ部門のようなものだろう。
国民は顧客だ。
だったらもっと顧客志向に徹したらどうだと思う。
お金は毎月いただいておいて支払いは2ヶ月に1度って、それで顧客満足が得られると思っているのか?
これが先ほどの私が働いていた会社だったら、アンケート調査により政府の役人の昇給もボーナスも0だ。
おそらく年金支払いの手間や手数料の節約などが隔月支給の理由だろう。
そんなことは聞かなくてもわかる。
しかし保険料徴収の手間は毎月惜しまないではないか。
保険料を徴収するのだって手間もお金もかかるはず。
だったら徴収は2ヶ月に1度。
支払いは毎月にするのが良いサービスというもの。
さらに国民の満足度を高めようと思えば、支払いは2ヶ月に1度じゃなくて2週間に1度にすべき。
そうすると国民は日本年金機構のスタッフにも給与もボーナスを弾んであげようと思う。
要するにお互いがWINWIN!
今時の企業で顧客志向、ユーザー目線ということに意識が向かない会社は生き残れない。
国だからって同じことだ。
国民から支持されない内閣は短命に終わる。
だから頼むから年金は毎月振り込んでくれよぉ〜。
なんだかんだ言ってそこだけね。
老後のおひとりさまごはん
昨日の朝食はコロッケホットサンド。
コロッケサラダにするはずだったコロッケがパンに挟まれている。
キャベツとウスターソースで激うま!
今日のご当地ラーメンは『元祖長浜屋』の豚骨ラーメン。
マルタイの揚げ麺だ。
私がこれまでの人生で最も数多く食べたラーメン店。
今は元祖は分散してしまったが、あのお店でラーメンを食べれたことは幸せだった。
そして私は30代で痛風になる。
晩ごはんはたけのこと牛肉の山椒焼き、かきの酒蒸し香味だれ、マカロニポテトサラダ。
本当は木の芽を飾るのだが木の芽は小さなパックで980円もする!
それでは牛肉が買えなくなってしまうじゃないか。
なのでお安い絹さやを代わりに飾った。
ぷりっぷりのかきをパクチーダレでいただく。
うまいな〜!
年金サバイバーは奇数月が嫌いだ。
なぜなら年金支給月は偶数月だから・・・
日本中の老人が奇数月は元気がない。
この3月もみんな必死に耐えている。
おそらく奇数月に死んでいる老人が多いと思うな。
年金支給を毎月にしたら、日本はもっと平均寿命が伸びると思いますが!
岸田総理いかがでしょう。
※昨日もコメントありがとうございます!
コメントありがとうございます! いつもコメント楽しみに読んでいます。 しばらくお返事ができませんがコメント頂けたら嬉しいです!
そうだそうだ!年金は毎月がいいですよ。2ヶ月に1度ってなに?本当に仰る通りです。
積み立ててきたのはこっちだっつーの。2ヶ月ってすごく長いです。
長浜ラーメンは新婚旅行で行った福岡で食べましたが、あまりの臭いの激しさに箸が止まり、お店を脱出するように出た思い出がありますわ。あの頃は若かったなーー。